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そごう広島店(そごうひろしまてん)は、広島県広島市中区基町(紙屋町地区)にある百貨店。セブン&アイ・ホールディングス傘下の株式会社そごう・西武が運営する百貨店ブランド「そごう」の店舗の一つ。旧そごうグループの経営破綻前の名残から、広島そごうとよばれることも多い。 == 概要 == 広島センタービル(広島バスセンター)に本館(建物は一部を除きそごう所有・土地はバスセンターの土地をそごうが賃借)が、NTTクレド基町ビル(基町クレド)に新館(テナントとして)が入居する。本館は広島市の中心部・紙屋町交差点の角に立地しており、紙屋町地区のランドマークの一つとなっている。 1960年代まで地平施設だった広島バスセンターが、1965年(昭和40年)頃より土地の有効活用による地代の負担軽減などを目的に、百貨店の誘致などビルの建設について検討を開始した〔『広島バスセンター40年史』(以降『40年史』とする)34ページ〕。その提案について、大丸とそごうが出店を申し込んだ。ただ、大丸側は当初計画されていた1階にバス施設を配置することで、百貨店のアプローチが悪いことより早期に辞退。当初計画案で了承した、そごう側と1969年(昭和44年)10月16日に出店に関する覚え書きを締結した〔『40年史』37ページ〕。 その後、何度か建物は計画変更され、1972年(昭和47年)4月28日に、建物の構造や所有権などに関する第二次覚え書きを締結〔『40年史』39ページ〕。ビル内にバスセンターを設けた商業ビル「広島センタービル」が1973年(昭和48年)3月24日に建設着工された(詳細は広島バスセンター参照)〔『40年史』42ページ〕。 1974年(昭和49年)10月10日、「広島センター街」(現「アクア広島センター街」)と同時に「広島そごう」が開店した。広島市内では前年の1973年(昭和48年)に開店した三越広島店に次ぐ、全国区の百貨店の出店である。開店当時のそごう部分の店舗面積は9,768m²で、地下1階から6階までを店舗として使っていた。その頃は7階・9階は展示スペース、8階は中国新聞社のカルチャー教室などが置かれていた。1975年(昭和50年)6月1日に、21,268m²になり、店舗スペースが拡大した。同日に福屋本店・天満屋広島店・三越広島店が店舗拡大を行っており、同月21日にはハイライフプラザ第一産業本店(現・エディオン広島本店 本館)が開店している。 その後、地下2階の使用、新館開店などで現在の店舗面積は57,839m²になっており、広島県はもとより中国地方・四国地方で最大規模の百貨店である。新館は本館と隣接して1994年(平成6年)4月22日に開店した。NTT西日本中国支社の跡地に建設された基町クレド(NTTクレド基町ビル)商業棟の1階 - 9階に入居している。基町クレドにはほかにパセーラ(ショッピングモール)とリーガロイヤルホテル広島がある。 本館と新館との連絡は1・3・6階でアクア広島センター街を通過する形で行われている。新館とパセーラとの連絡は各階で行われている。 当初の運営会社は本館が株式会社廣島そごう、新館が株式会社廣島そごう新館(「広」の字が旧字体)であったが、2002年(平成14年)に民事再生法の手続きおよびそごう各店舗の統合で本館・新館ともに株式会社そごうの運営になり、店名も「広島そごう」「広島そごう新館」から「そごう広島店」の本館・新館に改称された。2009年8月のそごう、西武百貨店、持ち株会社ミレニアムリテイリングの統合で株式会社そごう・西武の運営となった。安佐南区八木のそごう八木店(サンホームズ)は閉店した。 なお、2000年(平成12年)にそごう本体を含めたグループ各社が民事再生法の適用を申請した際に、呉そごう(広島県呉市)と広島そごう新館が破産を免れたのは、両者が廣島そごうと資本的つながりが深かったため(呉そごうの建物が、廣島そごうの持ち物であった、など)で、呉そごうは売り上げが最下位に近かったが破産を免れた。その後、呉店は2008年(平成20年)に広島店と外商・企画部門などを統合して広島店の分館扱いとなり、2013年(平成25年)1月31日に閉店している。 紙屋町交差点に立地していることや「紙屋町」が繁華街として交差点付近の地域を指すこともあり、「紙屋町そごう」という表記も古くから見られた。 ファイル:Hiroshima Center BLD 20120519.JPG|本館側の『大規模小売店舗を設置する者』の看板 ファイル:Motomachi CRED 20120519.JPG|新館側の『大規模小売店舗を設置する者』の看板 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「そごう広島店」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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