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外山 喜雄(とやま よしお、1944年8月25日 - )は、日本のジャズトランペット奏者、日本ルイ・アームストロング協会会長。東京都葛飾区出身。血液型はO型。 == 経歴 == 1944年、東京都葛飾区に生まれる。 早稲田大学経済学部入学直後にニューオリンズ・ジャズクラブに入部。ピアノとバンジョー奏者であり卒業後に結婚する恵子(当時、早大文学部在学)と出会う。 1967年12月30日、夫婦でぶらじる丸に乗り込み、ニューオリンズへジャズ武者修行の旅に出る。以後、通算5年に渡りニューオリンズでジャズを学び、ヨーロッパ、アメリカ各地を演奏旅行する。 1975年、「外山喜雄とデキシー・セインツ」を結成。国内ライブ、コンサートをはじめ、海外ジャズ祭でも活躍する。 1983年の東京ディズニーランド開業から、2006年まで、東京ディズニーランドにパーリーバンド、ロイヤルストリート・シックスとして出演する。 1994年、ルイ・アームストロング・ファウンデーション日本支部を発足させる。1995年8月7日発行号から夕刊フジにて『いま、甦るサッチモ〜ルイ・アームストロング』を連載(全12回)した。 1998年にはルイ・アームストロング・ファウンデーション日本支部を日本ルイ・アームストロング協会に改組。会長として精力的に活動を行う。日本ルイ・アームストロング協会としては「銃に代えて楽器を」を掲げ、ニューオリンズ市の子供達に楽器をプレゼントする運動に取り組んでおり、この運動で2005年8月外務大臣表彰を受けた〔これまでの叙勲・外務大臣表彰の当館の実績 在ナッシュビル 日本国総領事館 公式サイトより。〕。また、ハリケーン・カトリーナ被災によるニューオーリンズ市の支援活動にも取り組んでおり、ニューオリンズ市名誉市民を授かっている。東日本大震災時には、ニューオリンズ市からの恩返しとも言える被災地支援を受ける窓口を「みやぎ音楽支援ネットワーク」と共に活動している。 2012年、「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」の1人にジャズ音楽家として夫婦で選ばれ、国家戦略大臣表彰を受けている。 ジャズ奏者以外にも、随筆、ジャズ評論の執筆活動の分野でも活躍し、また、ジャズ演奏を納めた16mmフィルムやジャズ創世期の貴重な資料のコレクターとしても知られる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「外山喜雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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