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たけし軍団(たけしぐんだん)は、日本の芸人グループ。ビートたけしのもとに弟子入りした人物らにより構成されている。1983年に正式に結成〔「おいらの自分史」『新潮45別冊 コマネチ! ビートたけし全記録』新潮社、1998年、p.306.〕。 == 概要 == 基本的にはビートたけしの弟子。1980年代初期に弟子入りした「一軍」・「二軍」、1986年に弟子入りした「三軍」、それ以降に弟子入りした「若手」らで構成されている。この他にも番組などで関わった「外人部隊」も含み、歴代総数は100名を超えるが、ほぼ半数が離脱、非常に流動的なグループである。たけしは女性を弟子に取らないため、メンバーはすべて男性であり、野沢直子などが、実際に弟子入りを志願したが、全て拒否している。 「たけし軍団」という名前自体が「石原軍団」のパロディであり〔浅草キッド『キッドのもと』学研、2010年、p.96〕、かつての二軍「たけし軍団セピア」は「一世風靡セピア」のパロディ、三軍「浅草キッドブラザース」は「東京キッドブラザース」のパロディである。テレビでは主に体を張ったリアクション芸を披露して、識者からは芸がないと批判されることが多かった〔ビートたけし『場外乱闘』太田出版、1992年、p.132〕。たけしは芸のないたけし軍団メンバーに、飲みに連れ歩いた10年間をかけて「間」を教えたと語っている〔ビートたけし『こんな時代に誰がした! 場外乱闘2』太田出版、1993年、p.93〕。 そのまんま東と大森うたえもんによるコンビのツーツーレロレロはビートたけしと同じく太田プロに所属していたが、それ以外の軍団メンバーは太田プロ所属ではなく、ビートたけしの弟子扱いで太田プロとは関係なくビートたけし預かりでポケットマネーから給料が出ていた。たけし軍団へのオファーはなく、ビートたけしの仕事にたけしとセットで出演する形になっていた〔たけし軍団編、ガダルカナル・タカ監修『我が愛と青春のたけし軍団』双葉社、2012年、pp.58-59〕。その後は太田プロに正式に所属したが、1988年のオフィス北野立ち上げ時にたけしとともに移籍している。 たけし軍団への加入の仕方は、ビートたけしに心酔しての純粋な弟子入り、井手らっきょやダンカン、カージナルス(ガダルカナル・タカ、つまみ枝豆)のように芸人として既に活動していてキャリアの途中でたけしによるヘッドハンティングによる加入と、たけしに思い入れがなく芸能界への入り口として弟子入りした人たちの3種類であるという〔『本人本01 ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』太田出版、2008年、p.199〕。 軍団に加入した者は、ニッポン放送で放送されていた「ビートたけしのオールナイトニッポン」で出待ちをしていた人物と、草野球の助っ人で軍団入りした人物が多い〔たけし軍団『ツノだせヤリだせ たけし軍団物語』太田出版、1986年、「軍団紀元前」の章〕。前者は、当時、芸能活動していない人物、後者は既に芸人として、活動していた人物が多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「たけし軍団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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