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武見 敬三(たけみ けいぞう、1951年(昭和26年)11月5日 - )は、日本の政治家、元ニュースキャスター。自由民主党所属の参議院議員(4期)。元厚生労働副大臣。学歴は慶應義塾大学大学院法学研究科博士後期課程満期退学。学位は法学修士(慶應義塾大学)。家族は妻と2男1女。 日本医師会の会長であった武見太郎の子息。麻生グループ代表麻生泰(麻生太郎衆議院議員の弟)の和子夫人は姉であり、武見自身麻生太郎とは母方のはとこにあたる。 == 来歴 == 松濤幼稚園、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、1974年(昭和49年)3月に慶應義塾大学法学部政治学科卒業(法学士)、その後、同大学院法学研究科政治学専攻修士課程に入学、1976年修了(法学修士)。1980年(昭和55年)に同大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得満期退学。 学生時代はラグビー部に属していた。東海大学政治経済学部助手、講師、助教授を経て、1995年(平成7年)に東海大学教授。専攻は国際政治学。米国の東アジア政策などについての論文が多い。途中台湾師範大学大学院・ハーバード大学大学院にて在外研究。 1987年(昭和62年)10月から1988年(昭和63年)10月までテレビ朝日「モーニングショー」のメイン司会者。1980年代には「CNNデイウォッチ」、1990年代には「CNNデイブレイク」のキャスター。1995年(平成7年)の第17回参議院議員通常選挙で初当選し、2001年に再選。日本医師連盟の推薦候補だが、知名度と政治学者としての専門を生かし、議員としても国際関係の討論番組などに盛んに出演していた。 2002年(平成14年)3月7日、喫煙による健康被害を防ぐため禁煙の必要性を訴える、超党派の国会議員で構成される禁煙推進議員連盟の設立発起人の一人となる。 2006年(平成18年)9月発足の安倍内閣で厚生労働副大臣。厚生労働副大臣でありながら、自身がメタボリックシンドロームになっていたことが判明し自身のリハビリ経験をホームページで公開した。 任期満了に伴い2007年(平成19年)7月29日に行われた第21回参議院議員通常選挙で三選を目指し比例代表区から立候補したが、自民党への逆風の煽りを受けて18万5千票を集めるものの35名中15位(当選者14名)で次点で落選する。 2007年(平成19年)11月、米国ハーバード大学医療財政研究所に客員研究員として就任。2008年(平成20年)、長崎大学客員教授。2012年(平成24年)、身延山大学客員教授に就任。同年11月30日、上位当選者の義家弘介が12月4日公示の第46回衆議院議員総選挙への立候補を理由に参議院議員を辞職し、繰り上げ当選で5年ぶりに国政復帰した〔自民党・武見元参院議員 義家氏鞍替えで「繰り上げ当選」へ (医薬経済社『RIS FAX HEADLINE』、2012年11月21日)〕〔参院5人が繰り上げ当選=民主、自民、みんな【12衆院選】 (時事通信)〕。 2013年(平成25年)、第23回参議院議員通常選挙東京都選挙区の自民党公認候補に内定する〔自民、参院東京選挙区で武見氏を公認 - 日本経済新聞 2013年1月25日〕。同年7月、第23回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補し、再選〔2013参院選 開票速報 - 毎日jp〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武見敬三」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Keizo Takemi 」があります。 スポンサード リンク
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