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米村 でんじろう(よねむら でんじろう、1955年2月15日 - )は、日本のサイエンスプロデューサー、サイエンスライター。有限会社でんじろうサイエンスプロダクション代表取締役。本名の米村 傳治郎(読みは同じ)名義での執筆も行っている。 弟子にサイエンスエンターテイナーのチャーリー西村、ジャイアン村上、市岡元気、海老谷浩がいる。 == 来歴 == 千葉県市原市出身。千葉県立市原高等学校卒業。高校時代は理科が嫌いだった(子供たちに科学の楽しさを伝えたいと思っている理由の一つである)。3浪ののち東京学芸大学教育学部に進学し、同大学院理科教育専攻科修了。学校法人自由学園講師、都立高校教諭を経て、1998年に「米村でんじろうサイエンスプロダクション」設立。それ以後、サイエンスプロデューサーとしてメディアや雑誌へ出演するなど、活動は多岐にわたる。ニックネームは「でんじろう先生」。米村家の婿養子で旧姓は「戸谷」(とや)〔日本テレビ系『いつみても波瀾万丈』出演時の紹介VTR より〕。趣味はフライフィッシング。 * 出演番組内(主にバラエティ番組)で様々な実験を行い、それを通じて科学の面白さを伝えている。 * 元は高校の理科教師であり、最初の勤務校である自由学園では実験を主体とした斬新な授業が受け入れられていたが、都立高校へ赴任後は学習指導要領や「生徒にケガをさせては大変だ〔実際はさほど危険性のない実験でも、万一を考慮してできなかったという。〕」「くだらない実験よりも成績を上げるための授業を優先するように」という保護者や学校側の意見の多さから、教えたいと思っていた多くの実験が教えられないことを知りショックを受ける。「実験を通じて科学を好きになって欲しい」という想いを伝えられない憤りから退職、退職に際しても学校側の対応は冷ややかなものだった。 *その後、自身の理念を実現したいと思い立ち、サイエンスプロデューサーという立場で活動を始めた。 *弟子のチャーリー西村、ジャイアン村上、市岡元気、海老谷浩と共に演出の試行錯誤を重ね、現在の「サイエンスショー」のスタイルを築き上げた。 * テレビ番組などで、タレントらに人体に危険を及ぼさない程度の微量の電気ショックを用いるという実験を何度も行っているが、実は自分自身が電気ショックでビリビリするのは苦手であると発言している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「米村でんじろう」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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