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ときめき駅(ときめきえき)は、かつて新潟県西蒲原郡黒埼町(現新潟市西区)ときめき東一丁目にあった新潟交通電車線の駅。 == 概要 == 黒埼町北部の大字寺地および山田で福田組などを中心として開発が進められていた住宅地「ときめきタウン黒埼」の最寄り駅として設けられた。 ときめきタウンは電車線を挟んで東西に亘って開発が行われた。公共交通が全くなかった訳ではなく、電車線東側の新潟県道42号新潟黒埼インター線(当時、現在は国道116号の区間)上には新潟交通の路線バスが発着する下山田バス停が、また北西側には同社の新潟西部営業所があり、それぞれ新潟市中心部や郊外方面に至る路線が運行されていた。ただし、ときめきタウンはこれらのほぼ中間にあり、どちらのバス停を利用するにも概ね徒歩15 - 20分を要した。また、黒埼町内には中学校が黒埼町立黒埼中学校(現在の新潟市立黒埼中学校)1校しかなく、ときめきタウンに在住する中学生の通学手段を確保する必要が生じた。さらに寺地をはじめ同町の山田・善久などの地区は旧農村部を縫うような形で宅地開発が進捗したため道幅が非常に狭隘で、また道路整備も不充分なままだった事などから、これらの地区を経由するバス路線を開設するのは非常に困難とされた。 こうした事情から黒埼町は新潟交通に対して電車線の新駅設置を請願したものの、新潟交通側は電車線の慢性的な不採算から終始難色を示した。町はやむなく「駅の設置費用を負担する」という条件を付加して再度請願。新潟交通もこれに折れる形で新駅設置を決め、諸費用を含めた1,300万円強を町が負担し、新駅「ときめき駅」が1997年(平成9年)3月16日に設けられた。開設後は上記の通り、主に中学生の黒埼中学前駅への通学輸送に利用された。だが新潟市中心部への通勤・通学需要に関しては、上記の通り元々周辺にバス路線がある上、電車利用では東関屋駅で乗り換える必要が生じる上に運賃も高額で、さらに運行車両はいずれも非冷房で近代化が立ち遅れていた事などから、利用者数はほとんど伸びなかった。 さらに悪い事に、ときめき駅の開業からわずか1か月後の4月17日、新潟交通が電車線を全廃する方針を表明したため、黒埼町側は憤激。その後同社は沿線自治体と廃止に伴う対策協議を始めたが、黒埼町とは先のときめき駅の建設費の負担を巡って終始紛糾、対策協議にも大きな影を落とした。結局1998年(平成10年)、新潟交通が建設費を全額町に返還することで両者はようやく合意。こうして、ときめき駅は1999年(平成11年)4月4日の最終運行を以って、電車線の全廃と共に僅か2年20日の使命を終えて営業を終了した。 廃止後、新潟市中心部からときめきタウンを経由して黒埼町中心部の大野(現大野町)に至るバス路線が設けられた。ときめきタウン内には旧ときめき駅西約100mの市道上に、ときめきバス停が設置されたが、前述の通り、ときめき以南の区間は道幅が狭いため国道8号を経由する経路が設定された。2001年(平成13年)1月1日、黒埼町は新潟市に編入合併し、その後黒埼地区では県道や市道の新規整備や改修が進捗した。幹線道路が乏しかった黒埼北部では、山田・善久周辺に所在する住宅地「焼鮒団地」の西側を経由する市道が整備されるなどしたため、ときめき経由のバス路線の経路もこの市道を経由するものに改められた。2007年(平成19年)4月1日の政令指定都市移行後は、この市道を経由して西区役所が所在する坂井輪地区方面を循環する西区バス「黒埼ルート」が開設されたが、利用者が少なく不採算であったことから2010年(平成22年)3月31日を以って廃止された。黒埼地区では道路整備が進捗する一方で公共交通網の再整備が進んでおらず、今後の大きな課題となっている。 なお西区黒埼地区のうち寺地・ときめき・山田など北部については新潟市への編入合併以降、黒埼中よりも近い新潟市立小針中学校等への通学が認められている。 == 駅構造 == * 交換設備を持たない「停留場」である地上駅。無人駅だった。 * 線路東側に設けられたホームは単式1面1線。駅舎はなく、ホーム上の上屋には住宅用カーポートが代用された。またバリアフリー対策として、ホーム南側にはスロープが設けられていた。ホーム北側には自動販売機が1台設置されていた。 * 駅名標の道路側には「ときめき停留所」と記されていた。また時刻表も線内の他駅同様、漢数字で縦書きされたものが設置されていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ときめき駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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