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野槌(のづち)は、日本に伝わる妖怪あるいは野の精霊(「野つ霊」の意)。 == 概要 == 蛇のようだが、直径15センチ、体長1メートルくらいで、太さの割りに短い。頭のてっぺんに口がある以外は目も鼻もなく、ちょうど柄のない槌のような形をしている〔。深山に棲み子ウサギやリスを食べる。時には人を喰うとされた〔。ツチノコは、野槌に似ていることから名づけられた名前である。あるいは一説に、ノヅチの伝説の元になった実在の生物ともいう。昭和40年頃には、野槌の伝承はツチノコとしてほぼ統一されている〔。 民俗伝承においては奈良県、徳島県、北陸地方、中部地方などを中心に伝承されている〔。シカを一飲みにする、転がってくる野槌に当たると死ぬ、野槌に見つけられただけでも病気を患ったり、高熱を発して死ぬともいう。 奈良時代の歴史書『古事記』や『日本書紀』では草の女神カヤノヒメの別名とされ、山野の精とされた〔。記紀神話にはカヤノヒメを蛇とする記述は見られないものの、夫のオオヤマツミを蛇体とする説がある〔。仏教が普及すると、カヤノヒメが霧の神、暗闇の神、惑わしの神を産んだとされることから、野槌は妖怪変化を産む神とみなされ、野槌自体も次第に妖怪視された。 仏教説話の中にも「野槌」の存在は見られ、鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』には、徳のない僧侶は深山に住む槌型の蛇に生まれ変わるとされている。生前に口だけが達者で智慧の眼も信の手も戒めの足もなかったため、野槌は口だけがあって目や手足のない姿だとある〔。鳥山石燕は『今昔画図続百鬼』で、全身毛だらけの野槌がウサギを食べる様子を描いており、解説文で「草木の精をいふ」と述べ、その形状を『沙石集』からの引用で「目も鼻もなき物也といへり」と述べている。 江戸時代の百科事典『和漢三才図会』によれば、和州(現・奈良県)吉野山中の菜摘川(夏実川)や清明滝(蜻螟滝)でよく見かけるもので、野槌の名は槌に似ていることが由来とある。深山の木の穴に住み、大きいものでは体長3尺(約90センチメートル)、直径5寸(約15センチメートル)、人を見ると坂を転がり下って人の足に噛みつくが、坂を登るのは遅いので、出くわしたときには高いところへ逃げると良いという〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野槌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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