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ひらかたパーク : ウィキペディア日本語版
ひらかたパーク

ひらかたパークは、京阪電気鉄道の子会社である京阪レジャーサービスが運営する遊園地大阪府枚方市枚方公園町に位置する。最寄り駅は京阪本線枚方公園駅。通称は「ひらパー」。
毎年コンスタントに120万人前後の入園者数があり、その数はユニバーサルスタジオジャパン(USJ)に次いで、大阪府下第2位を誇る。
== 概要 ==

=== 歴史 ===
現在営業している日本の遊園地の中では最も古い歴史を持つ。日本最古としては浅草花やしきがあるが、花やしきは1942年(昭和17年)に太平洋戦争下の強制疎開に伴って取り壊された後、1947年(昭和22年)に復活した経緯があるため、断絶のない歴史としてはひらかたパークが最も古い遊園地となる。
前身は寝屋川市にあった「香里遊園地」。1910年(明治43年)、京阪電車の開通に合わせ香里駅(現・香里園駅)近くの北河内郡友呂岐村大字郡(こおり)に十二万坪で開園した。当時繁栄していた遊園地であり、地名の響きも似ていた香櫨園(こうろえん)(兵庫県西宮市)にあやかり、名づけられたという。香里遊園地では第一回(1910年(明治43年))、第二回(1911年(明治44年))の菊人形展が開催されたが、周辺を住宅地として開発するために移転される事になり、枚方駅(現・枚方公園駅)付近に約1万m2の用地を買収、1912年(大正元年)10月6日11月25日第三回菊人形展が枚方で開催された。これが『ひらかたパーク』開業の起源となった。
その後、菊人形展は1919年(大正8年)〜1922年(大正11年)に宇治で開かれていたが、1923年(大正12年)以降は枚方での開催が定着した。1926年(大正15年)に「枚方遊園組合」を設立して実質京阪電鉄の経営に一本化され、本館・余興館・ボート池・滑り台・ブランコなどを設置された。
菊人形展は第二次世界大戦中も「戦力増強決戦菊人形」と呼称されて1943年(昭和18年)まで続けられた。が、その後建物は軍需工場として、グランドは食糧増産のために畑に耕された。
1948年(昭和23年)ごろまで千里山遊園でも菊人形展を開催していた記録が残っているため、戦中、あるいは戦後直後までは枚方以外でも菊人形展が開催されていた事になる。なお、1948年(昭和23年)以降は枚方での開催のみとなっており、そのことが千里山遊園の閉鎖の一因とも言われる。しかし、戦中戦後に渡って菊人形が千里山遊園で開催されていた時期は京阪と阪急が合併していた時期と符合しており、1949年(昭和24年)に両者が分離して以降は熾烈なライバル関係になったため、阪急が運営する千里山遊園で菊人形を開催する事を嫌ったとする説もある。
1951年(昭和26年)溝口健二監督 田中絹代主演の映画『西鶴一代女』(児井英生プロ+新東宝)が園内及び周辺で撮影された。
毎年秋季に開催されていた「ひらかた大菊人形展」は、主にNHK大河ドラマで放送される作品等を題材に展示していた(一部例外あり)。しかし、後継者不足などを理由として2005年(平成17年)で大規模なものは終了となった。その後、翌2006年(平成18年)には小規模な回顧展が開催された後、2010年(平成22年)には京阪電鉄の創業100周年記念企画として、限定復活開催されることになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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