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びん細工手まり[びんてまり] びん細工手まり(びんてまり)は、滋賀県愛知郡愛荘町(旧愛知川町)に伝わる伝承工芸〔当初は「伝承芸能」と表現されていたが、次第に「伝承工芸」へと訂正された。『広報えちがわ』では、336号(1995年8月)の「中学生が「びん細工手まり」に挑戦」の記事のなかで「町の伝承芸能である「びん細工手まり」づくりを〜」とあり、その後372号(1998年8月)の「第4回日本のてまり展…出展」の記事で「町の伝承工芸品であります「びん細工てまり」を〜」となっている。〕である。狭い丸いガラス瓶の中に、その口よりも大きな、刺繍を施した手まりが入ったもので、丸くて中がよく見える(丸く仲良く)ことから、縁起物として床の間や玄関などに飾られる。かつては嫁入り道具のひとつとして、手作りのびん手まりを持参したという。 == 由緒と伝来 == びん細工手まりの由緒は江戸時代の終わりに遡る。長野村(現・愛荘町長野)の藤居弥三郎のもとに嫁いだ市橋つね(1856-1930)の嫁入り道具のなかにびん細工手まりがあり、これがこの地に伝わる最古のものと考えられている。つねは、多賀を本拠とする近江商人・市橋喜平の妹であるが、現在多賀町にはびん細工手まりの技術は伝わっていない〔筒井正夫「モノが語る生業と暮らし」(『近江 愛知川町の歴史』第4巻 分冊1、愛荘町、2008)〕。 明治時代には、勝光寺(愛荘町沓掛)や信光寺(愛荘町東円堂)で行われていた裁縫教室でびん細工手まりの製法が教えられていた〔筒井正夫「モノが語る生業と暮らし」(『近江 愛知川町の歴史』第4巻 分冊1、愛荘町、2008)〕。裁縫塾を媒介に伝えられてきたびん細工手まりは、勝光寺の野田操(1889-1966)から青木ひろ(1887-1973)に伝えられたが、青木ひろはその技術を弟子に伝えることなく死去した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「びん細工手まり」の詳細全文を読む
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