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ふだん着の原敬 : ウィキペディア日本語版
原敬[はら たかし]

原 敬(はら たかし、安政3年2月9日1856年3月15日) - 大正10年(1921年11月4日)は、日本外交官政治家位階勲等正二位大勲位幼名健次郎一山逸山
外務次官大阪毎日新聞社社長立憲政友会幹事長逓信大臣(第1116代)、衆議院議員内務大臣(第252729代)、立憲政友会総裁(第3代)、内閣総理大臣第19代)、司法大臣第22代)などを歴任した。
郵便報知新聞記者を経て外務省に入省〔【原 敬 略年譜】 財団法人 大慈会 原敬遺徳顕彰事業団公式サイト参照〕。後に農商務省に移って陸奥宗光井上馨からの信頼を得た。
陸奥外務大臣時代には外務官僚として重用されたが、陸奥の死後退官。その後、発足時から政友倶楽部に参加して政界に進出。大正7年(1918年)に総理大臣に就任。爵位の受け取りを固辞し続けたため「平民宰相」と渾名された。
大正10年(1921年11月4日東京駅丸の内南口コンコースにて、大塚駅の駅員であった右翼青年・中岡艮一に襲撃され、刺殺された。満。墓所は盛岡市大慈寺
有職読みの「はら けい」が用いられるケースもある(原敬記念館、原敬日記など)。
足尾銅山の副社長にも就いていた〔土曜ドラマ「足尾から来た女」 NHK〕。
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===
原敬は、安政3年(1856年)2月9日、盛岡藩盛岡城外の岩手郡本宮村(現在の盛岡市本宮)で盛岡藩士原直治の次男として生まれた。後に「平民宰相」と呼ばれる原だが、原家は祖父・直記が家老職にあったほどの上級武士家柄で〔千葉 〕、敬は20歳のときに分家して戸主となり、平民籍に編入された。徴兵制度の戸主は兵役義務から免除される規定を受けるため分籍した。彼は家柄についての誇りが強く、いつの場合も自らを卑しくするような言動をとったことがなかったとされる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hara Takashi 」があります。



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