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ふるさときゃらばんは、かつて活動していた日本のミュージカル劇団。本部所在地は東京都小金井市であった。略称はふるきゃら。テクニックよりも生命力、高尚さより親しみやすさを前面に出した、庶民目線の独特の作風で知られた。山田洋次監督が1975年に松竹80年記念映画として制作、同年10月25日に公開した同胞 (映画)劇中に登場する劇団は、のちのふるさときゃらばん主宰者である石塚克彦率いた作品ふるさと(ミュージカル)上演チームであった。 ==来歴== 1983年、劇団新制作座の流れを汲む統一劇場から独立するかたちで劇団ふるさときゃらばんを創立。同じ時期、統一劇場からは希望舞台が独立している(統一劇場はのちに現代座に改称)。 地方公演を数多くこなし、ミュージカルを通じた村おこしをテーマに、独自の人脈や応援団と称する地方実行委員会を組織したプロモーション活動により、公演回数もさることながら、動員観客数も10年余で100万人を突破するなどの特徴を持った活動をしていた。 1990年代以降は、日本のミュージカル史上初の日米合作のミュージカルによる海外公演などを行ったほか、バルセロナオリンピックや日中国交正常化記念イベントなどにも招聘。1999年からは日本の棚田を守る自然環境イベントなどを企画し、舞台芸術のみならず幅広い活動を展開していた。 また木村政雄が吉本興業在籍時、ふるさときゃらばんの芝居を観劇し、低迷していた吉本新喜劇を再生させるきっかけを作るなど、他の劇団の運営に多大な影響を与えた。 1998年には文化放送との共催で、1年間のカリキュラムでミュージカル体験塾を企画・制作。以来10年続いた人気の企画となった。 作・演出の石塚克彦、作曲の寺本建雄、振付・主演の天城美枝と、株式会社ふるさときゃらばんの代表取締役を務めた大内義信率いる制作部による緻密な取材活動で、多くの日本オリジナルミュージカル作品を世に送り出したが、創立メンバー以降の第二世代の活躍を待たず解散となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ふるさときゃらばん」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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