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『ふるさとは宗谷の果てに』(ふるさとはそうやのはてに)は、1962年(昭和37年)に菊地正夫時代の城卓矢、1971年(昭和46年)に大友和也がカヴァーしてリリースした日本のシングルである。1966年(昭和41年)に西郷輝彦がリリースしたシングル『涙になりたい』のB面曲として収録されたものが、もっとも広く知られる。 == 略歴・概要 == のちの城卓矢として知られる菊地正夫がテイチクレコード(現在のテイチクエンタテインメント)専属の時代、菊地の実兄でありクラウンレコード(現在の日本クラウン)専属の作曲家であった北原じゅんが実弟に提供した楽曲が、『ふるさとは宗谷の果てに』の初出である。北海道稚内市にある日本最北端の地・宗谷岬を舞台とし、その果てに位置する、北原・菊地兄弟の出生の地である樺太(当時ソビエト連邦、現在のロシア共和国サハリン)を想う楽曲である。同作は、同じく北原による『哀愁の一つ星』(あいしゅうのひとつぼし)をB面として、1962年(昭和37年)10月、テイチクレコードからリリースされた。当時は売上もさほどの数字を残さなかった。 1966年(昭和41年)、クラウンレコード専属のスター歌手であった西郷輝彦のプロモーションの一環として、平凡出版(現在のマガジンハウス)とのタイアップを行い、同社の出版する『月刊平凡』誌上で「西郷輝彦の唄う歌」の歌詞を募集した〔『涙になりたい』、西郷輝彦、クラウンレコード、1966年2月1日、ジャケット裏の記述。〕。当選した杉本好美の歌詞に、クラウン専属の北原じゅんが曲を付し、同年2月1日、シングルとしてリリースしたのが『涙になりたい』(なみだになりたい)である〔。同作は、同名の映画を日活が製作、西郷が主演、森永健次郎が監督して、同年5月18日に公開されている〔涙になりたい 、日本映画データベース、2010年9月7日閲覧。〕。同シングルのB面に収録されたのが、北原がかつて実弟に贈った『ふるさとは宗谷の果てに』のカヴァーであった〔。西郷のカヴァーは話題になり、本作が広く知られるところとなった。 1971年(昭和46年)には、北海道出身のユニオンレコード(テイチクのレーベル)専属歌手の大友和也がカヴァーし、同年6月にシングルとしてリリースした。編曲は池田孝で、B面には、1968年(昭和43年)にテイチクレコードからリリースされた木立じゅんの『484のブルース』を作詞・作曲した平田満が提供した『すすきの夜のブルース』(すすきのよるのブルース)を収録した〔『ふるさとは宗谷の果てに』、大友和也、ユニオンレコード、1971年6月、ジャケット裏の記述。〕。 ほかにも、ハーベストレコード(ミノルフォン、現在の徳間ジャパンコミュニケーションズのレーベル)の真芽正恵、あるいは黒沢明とロス・プリモス、千昌夫らがカヴァーしている〔作品データベース 検索結果、日本音楽著作権協会 、2010年9月7日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ふるさとは宗谷の果てに」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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