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まま、''は'ママ、はけ・ハケは、傾斜地、崖線、地形の崩れを指す上代日本語以来の日本の古語、現在の方言であり、その地形を持つ日本の地名の読みである〔まま 、大辞林第二版、三省堂、goo国語辞書、2009年12月16日閲覧。〕〔''崖''、デジタル大辞泉、、2012年9月24日閲覧。〕。普通名詞には崖の字を当てる〔〔。地名・古称あるいは土地の通称・呼称等の固有名詞には真間、間々、儘、墹、真々、万々、ママ等の表記を当てる〔『日本地名小辞典』、p.34.; 『日本の地名』巻末付録、鏡味完二、角川書店、1964年。〕。関東地方の地名に多い〔。ママの下部には覆水による湧水が多く存在する。 崖の字を当てる〔〔。地名・古称あるいは土地の通称・呼称等の固有名詞には真間、間々、儘、墹、真々、万々、ママ等の表記を当てる〔『日本地名小辞典』、p.34.; 『日本の地名』巻末付録、鏡味完二、角川書店、1964年。〕。関東地方の地名に多い〔。ママの下部には覆水による湧水が多く存在する。 == 略歴・概要 == 飛鳥時代、7世紀の舒明天皇の時代に、真間の入江(現在の真間川)に入水したとされる「真間の手児奈」の伝説に真間という地名が登場する。手児奈が水を汲んだという真間の井は現存し、現在は枯渇している。真間の地は、19世紀に歌川広重が『名所江戸百景』に描いたように水源に潤沢で、現在も千葉県市川市の地名に残る。759年(天平宝字3年)に成立したとされる『万葉集』に登場する地名であり、「まま」の語のもっとも古い例である。また、『万葉集』には、 * 足柄の 崖の小菅の 菅枕 あぜかまかさむ 児ろせ手枕 という足柄峠あたりを舞台とした東国の歌があり、これは一般名詞としての「まま」(崖)の例である〔。 群馬県の大間々扇状地の扇頂にあるみどり市大間々町では、旧山田郡大間々町の役場の前にあった渡良瀬川の河岸段丘による崖をママと呼ぶ〔大間々町の紹介 、大間々町商工会、2009年12月16日閲覧。〕。扇状地の下部に位置する太田市新田地区には覆水による湧水が多く、金井、野井等の井戸にちなむ地名がみられる。 武蔵野台地に散見される高さ数メートル程度の崖は、ママあるいはハケと呼ばれ、どちらも崖の古語であり〔『日本地名小辞典』、p.12.〕、同地では現在も生きている語彙である。国分寺崖線、立川崖線が知られる。小金井市にある国分寺崖線の道は「はけの道」と呼ばれる〔『地方史研究の新方法』、林英夫、八木書店、2000年 ISBN 4840620180, p.50.〕。東京の名湧水57選〔東京の名湧水57選 、東京都環境局、2009年12月17日閲覧。〕に選ばれた東京都国立市谷保のママ下湧水をはじめとして、「ママ下」と呼ばれるママの下部域には多く湧水が見られる。 東京都の島嶼・新島の南東に位置する羽伏浦海岸には、海食で露出した火山灰層である白ママ断層という断崖絶壁がある〔新島マップ 、新島観光協会、2009年12月17日閲覧。〕。30メートルから250メートルの高さの白い断崖が7キロメートル続く。同島の南西海岸、海に直面した向山の麓には間々下(まました)という小字があり、間々下海岸には間々下温泉の源泉が湧出している〔。 山梨県の山中湖村の長池地区にママの森と呼ばれる、崖の切り立つ地域がある。古くは「大まま」と呼ばれ、近辺には山中大池という大字があり、古くは水ヶ窪と呼ばれる土地もあり、湧水となっていた〔『山中湖村の史話と伝説』、編著・山中湖村史話と民話編集委員会、発行・山中湖村教育委員会、1988年。〕。同県甲斐市大字志田に間々下(まました)という小字があり、同地は扇状地の突端、つまりママの下に位置する〔2007年度上半期 遺跡調査発表会要旨 、山梨県、2009年12月18日閲覧。〕。同地には平安時代の遺跡・間々下遺跡が存する〔。 「崖」を意味する日本の古語・方言には、「まま」「はけ」のほかに、「ほき」〔ほき 、大辞林第二版、三省堂、goo国語辞書、2009年12月17日閲覧。〕、「のげ」〔地名の由来 (野毛・上野毛・中町) 、世田谷区、2009年12月17日閲覧。〕がある。そのなかでも「まま」には、「地形の崩れ」の意味が含まれている〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「まま」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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