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みっちゃんは、広島県内に店舗がある広島風お好み焼き店。県内に約2000軒あるとされる広島風お好み焼き屋の、元祖の一つである。大きく分けて総本店系・新天地みっちゃん・いせや系の3つに分かれている。行列が出来る店も多い。 == 現在の広島お好み焼きへの進化 == 美笠屋創設者 井畝 井三男と、善さんの中村善二郎が広島お好み焼きの元祖としている。 広島お好み焼きの直接ルーツは一銭洋食で、1950年(昭和25年)当時のお好み焼きはねぎ焼きに近い物であった。広島地区での焼き方は、現在の広島お好み焼きと同じくのせ焼きだった。当初は、肉が入っていない野菜の重ね焼きで、二つ折りにして新聞紙にくるんで提供されていた。キャベツや天かすなどが入れられていたが、そばは入れられていなかった。 戦後の食事事情により、季節により供給量が左右されるネギを、単価が安く年間通して手に入りやすいキャベツに変えた(もやしは、後年入れられる事になる)。また、ボリュームを増す為にそばを入れる様になった。当時は米は高価な時代だった。 さらに、見栄えを良くする為に二つ折りだったのを、折らずに円盤状になった。当初おやつ程度の物だったのが、主食に変化していった。そうして、1955年(昭和30年)頃に現在の広島お好み焼きになった。お好み焼きの元祖であるが、突然完成形が出来たわけではなく、当時は屋台営業の為に他店の手の内が分かりやすく、他の屋台の影響を受け合いながら、現在の形に進化していった。 名前についても、当初は決められた名前はなかった。好きな具材を入れていく事で好み焼き、しかしこの名称では良くないのではとなり、頭におを付けてお好み焼きになったらしい。自然発生的に名前が付いた。 広島お好み焼きの、一般的な形態は豚肉・玉子・そばが入った肉玉そばである。今では普通に有る食材だが、当時は豚肉、玉子、そばは高級品だった為に別注品だった。その、昔の注文の名残で、今でも肉玉そばと注文されている。 ちなみに関西風お好み焼きについても、広島市の隣の呉市が発祥の地と提唱する店も存在する参考 。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「みっちゃん」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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