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『フランダースの犬』(フランダースのいぬ、)は、イギリスの作家ウィーダが19世紀に書いた児童文学であり、美術をテーマとした少年の悲劇として知られる。 == 概要 == 『フランダースの犬』の舞台は19世紀のベルギー北部のフラーンデーレン(フランドル)地方。現在ではアントワープ(蘭語・アントウェルペン)に隣接するホーボケン (Hoboken) が舞台となった村のモデルと考えられている。ウィーダはこの作品を執筆する前年にアントワープを旅行で訪れてホーボケンにもやって来ており、寒村のこの村にまだ当時の領主、オレンジ公ウィリアムの風車小屋が存在していた事が1985年にアントワープ市観光局のヤン・コルテールによって突き止められ、以来この発見から物語に登場する風車小屋はこれをもとに描写されたものと見られている。さらに物語に登場するアロアのモデルと思しき12歳の娘が領主にいた事や物語の最後にネロが葬られた教会が現存する事も確認されている。これらの事は昭和60年3月22日付の朝日新聞夕刊で風車小屋の写真と共に報道された。しかしコルテールの言葉によると、ネロが葬られた教会はあっても100年前のことなため墓所ばかりは現存していないと言う。物語ではネロの祖父が半世紀以上昔のナポレオン戦争で兵士として戦い片足に障碍を得ていたり、金の巻き毛に血色の良い黒目がちなアロアの容姿にスペイン統治時代の混血の面影があったりと、当地の複雑な歴史的社会背景を根底に忍ばせている。 原作が書かれたのは1872年。英国の "" に発表され、後に "" の一冊にまとめられたものが初出とされる。日本語版は1908年(明治41年)に初めて『フランダースの犬』(日高善一 訳)として内外出版協会から出版された。西洋人の固有名詞が受容されにくいと考えられたためか、ネロは清(きよし)、パトラッシュは斑(ぶち)、アロアは綾子(あやこ)、ステファン・キースリンガーは木蔦捨次郎(きつた・すてじろう)などと訳された。さらに昭和初期には、1929年(昭和4年)の『黒馬物語・フランダースの犬』(興文社、菊池寛 訳)、1931年(昭和6年)の『フランダースの犬』(玉川学園出版部、関猛 訳)など他の訳者によって出版された。これら旧訳はパブリックドメインとしてウェブ上で読むことができる(→フランダースの犬#外部リンク)(→フランダースの犬 (国立国会図書館図書館デジタルコレクション ))。 1950年(昭和25年)以降は、童話文庫・児童向け世界名作集の作品として多くの出版社から出版されている。 活字以外にも1975年(昭和50年)に日本でテレビアニメシリーズ・世界名作劇場で製作された。詳細は「フランダースの犬 (アニメ)」または「フランダースの犬_ぼくのパトラッシュ」を参照のこと。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フランダースの犬」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 A Dog of Flanders 」があります。 スポンサード リンク
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