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もりたじゅん(本名:本宮順子(旧姓:森田)〔日外アソシエーツ発行『漫画家人名事典』(2003年2月)ISBN 9784816917608、P382〕、1948年2月18日〔 - )は、日本の元女流漫画家。広島県出身〔。千葉県市川市在住。日本大学芸術学部油絵科〔『同期生 「りぼん」が生んだ漫画家三人が語る45年』「第2章もりたじゅん」集英社新書 2012年〕卒業〔。夫は漫画家の本宮ひろ志〔。 == 経歴 == 子供のころから絵が好きだったが、小学生のころ、母親から、手塚治虫、関谷ひさし以外、原則漫画を禁止されていて、漫画を描くのは人形でも制限されていた。中学生のときに一時期、漫画から関心が離れた。高校生のころに、漫画がも大好きな文芸部の友人たちによって、ちばてつやの『紫電改のタカ』などを勧められ、興味が再燃した。以後、水野英子、西谷祥子、あすなひろし作品を愛読した〔。 大学2年の時、1968年第1回「りぼん新人漫画賞」で「マイ・エンゼル」〔単行本『こんにちは初恋さん』に収録〕にて佳作入賞し、同年『別冊りぼん春の号』(集英社)に掲載されデビュー〔する。 以後、『みいとオバケちゃん』を初連載するが伸び悩み、次々と編集者が変わり、1969年「りぼんコミック」11月号でSF『ダニイル』を読み切りで書くなど模索し苦しむ中で一回だけの名編集者に漫画の描き方を詳細に指導され、後任の担当者にも薫陶された結果、『キャー! 先生』でヒット作となる。この作品で主人公の元気な先生が、最終回に原爆症で亡くなるかもしれない形で終了し、今までの「りぼん」の殻も完全に破っている。 それ以降、それまで子供向けだった『りぼん』にラブコメディなどを発表し、第1回新人賞準入選の同期の一条ゆかり、弓月光らと、雑誌の誌面の年齢層を高校生、大学生も含めた形に変えていった。 本宮と結婚後に出産し、1974年に二人目の子供を出産を契機に、「りぼん」に「産休の告知」をして、引退するつもりで仕事道具をすべて処分するが1975年復帰した。1978年から1981年にかけて子育てのため再度の休みに入り、1982年大人の女性向け「YOU」創刊で誘われ復帰する。そして「モーニング」の「丸の内シリーズ」で、今まで苦手だった大人の男性の顔が突然描けるようになり、一つ壁を越えて、以後はレディースコミックで活躍した。 他にスコラ、あおば出版、宙出版などの一般誌でも描く。だが、徐々にストーリーが作れなくなり、集英社外での2006年前後篇読み切り時の作成時にストーリー案出に行き詰まり、夫の助力を得て完成し掲載するが、この時に漫画家としての限界を感じて引退を決意する。その後すぐ2007年「YOU」『残業了解』を最後に2007年のはじめに58歳で漫画家を引退した〔。 以降は自作だけでなく、夫の本宮ひろ志が若いころに描いた『男一匹ガキ大将』の後半から、読み切り『硬派山崎銀次郎』(後に『硬派銀次郎』で連載)とその続編の『山崎銀次郎』と『さわやか万太郎』など、夫の全作の女性キャラの下描きを現在も担当している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「もりたじゅん」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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