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もろびと手をとり
『もろびと手をとり』(もろびとてをとり、)作品443は、ヨハン・シュトラウス2世が作曲したウィンナ・ワルツである。 == 作曲背景 == ヨハン・シュトラウス2世は、古くからヨハネス・ブラームスと親しい付き合いがあった。出版社「ジムロック」を紹介してくれたブラームスに、シュトラウスはいつか曲を献呈しようと考えていた(『皇帝円舞曲』などはこのジムロックから出版された)。 1892年5月7日から10月9日まで、ウィーンのプラーター公園において「国際音楽演劇博覧会(the Internaional Exhibition of Music and Theatre)」が開催されることとなり、シュトラウスは侯爵夫人パウリーネ・フォン・メッテルニヒからの依頼により新作ワルツを作曲することになった。 シュトラウスはフリードリヒ・フォン・シラーの詩『歓喜の歌』からとった『もろびと手をとり』というワルツを作曲することとなった。この作品は、純粋に「国際音楽演劇博覧会」のために作曲されたワルツではなく、ブラームスに献呈しようと考えていたワルツを博覧会に流用しようと企てたものであった。このような経緯によって、初版ピアノ譜表紙には、献呈者として「ブラームス」と「国際音楽演劇博覧会」の名が併記されている。 3月5日付のジムロック宛の書簡には、「このワルツはいまだ宙に浮いた状態にある。私自身もこの曲については題名だけしかわかっていない。あなたに作品の中身について報告できるまで、まだかなり時間を要する」と書かれている。この時点でシュトラウスは、博覧会用のワルツの作曲にはまだ何も手をつけていなかった。それから3週間後の3月27日、シュトラウスはメッテルニヒ侯爵夫人に無断で、この博覧会用のワルツ『もろびと手をとり』を、シュトラウス・コンサートにおいて初演してしまった。1867年のパリ万国博覧会以来のシュトラウスとメッテルニヒ侯爵夫人の関係には大きな亀裂が入り、このワルツが博覧会の開幕式で演奏されることはなかった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「もろびと手をとり」の詳細全文を読む
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