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やまさき 十三(やまさき じゅうぞう、1941年6月19日〔「私の地図 やまさき十三」『週刊現代』2013年12月7日号、pp.71-73〕 - )は、日本の漫画原作者、本名:山崎 十三(読み同じ)。代表作は『釣りバカ日誌』(画・北見けんいち、小学館「ビッグコミックオリジナル」連載)。 == 略歴 == 宮崎県都城市に7人きょうだいの3男として生まれる〔。実家は学校教材等を取り扱う大規模な文具店の山崎文科堂で、『釣りバカ日誌』にて、ハマちゃんの実家「浜崎文科堂」として登場したが、2013年12月18日に火災被害に遭い全焼。 中学時代は野球部で投手を務めて宮崎県大会で優勝し、野球の才能を見込まれて宮崎県立宮崎大宮高等学校へ進学。高校1年のときには補欠で甲子園に出場した。しかし高校2年で腰を痛めて野球を挫折し、加えて肺浸潤で2ヶ月の入院生活をした後に映画を観るようになる。そのとき観たロベール・ブレッソン監督の『抵抗』『スリ』に衝撃を受けて映画監督を志し、1年の浪人の後、早稲田大学第一文学部演劇科へ進学〔。演劇科同期生に松本幸四郎、1期下に女優の赤座美代子がおり、映画監督の呉徳洙(オ・ドクス)は、大学時代からの親友である〔日本のドキュメンタリー作家インタビュー No. 24 呉徳洙(オ・ドクス)聞き手:門間貴志 山形国際ドキュメンタリー映画祭公式サイト内〕。 大学卒業後、映画会社の松竹の就職試験を受けるが、2000人中3人の採用という狭き門に漏れ、契約社員として東映東京制作所に助監督として10年間勤務して、テレビ映画『キイハンター』『プレイガール』『柔道一直線』などに参加した〔「釣りバカ」原作者が語る喜劇へのこだわり 笑えるシーンを必ず盛り込むやまさき十三イズム 4 東洋経済ONLINE 2013年11月29日〕〔〔国民的サラリーマン漫画『釣りバカ日誌』原作者 やまさき十三インタビュー ダイヤモンドオンライン 2013年11月26日〕。その間、山崎充朗の名で『キャプテンウルトラ』や『キイハンター』などの脚本も執筆していた。『キイハンター』で監督昇進の話があったが、契約社員の労働組合の委員長に選ばれ、契約者の権利を求めて会社側と団体交渉をする立場になったことから、昇進の話は流れる〔〔【CINEMAゲンダイ】「あさひるばん」やまさき十三監督 日刊ゲンダイ 2013年11月21日 〕。 労働争議は3年後に解決したものの、自身の監督昇進は絶望的になったと判断して東映東京制作所を退社〔。無給だった頃に大学時代の親友である小学館の編集者・武居俊樹から「映画の脚本が書けるなら、漫画の原作も書けるだろう」と誘われ、漫画原作を手掛けるようになる〔。1977年、「リイドコミック」連載の『アイドール』(芳谷圭児画)で漫画原作者デビュー〔やまさき十三 21世紀のコミック作家の会公式サイト内〕。 1979年から内山まもると組んだ「週刊少年サンデー」に連載の『番外甲子園』が人気となり、漫画原作者を職業とすることを決心〔。同年に趣味の釣りを活かした『釣りバカ日誌』を北見けんいちと開始して、1982年度(第28回)小学館漫画賞を受賞。同作は1988年に松竹で実写映画化、2002年にテレビ朝日系でアニメ化されるなど代表作となった。「国民的サラリーマン漫画」と呼ばれるまでになる〔。 2013年11月に故郷の宮崎県を舞台にした人情コメディ映画「あさひるばん」では、初の監督を務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「やまさき十三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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