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やまだ 紫(やまだ むらさき、1948年9月5日 - 2009年5月5日)は、日本の漫画家・エッセイスト・詩人。京都精華大学マンガ学部専任教授。東京都世田谷区出身。本名は白取 三津子(しらとり みつこ)(旧姓:山田)。2人目の夫は、元『ガロ』副編集長の白取千夏雄で、年齢は17歳下である。 == 経歴 == 1966年、私立富士見丘高等学校卒業後に詩の同人会『しちにん』へ参加。翌年からデザイン事務所勤務の傍ら、虫プロ商事(手塚治虫主宰)の漫画雑誌『COM』へ漫画作品の投稿を始める。 1969年、『COM』5月号でデビュー。以降同誌に精力的に作品を発表する。『COM』廃刊後は1971年『ガロ』(青林堂発行の漫画誌)に発表の場を移し、同年2月号に『ああせけんさま』が入選。1972年には漫画賞きっての難関であった「ビッグコミック賞」に「風の吹く頃」で佳作3席。 以後、結婚・出産による一時休筆を経て、『ガロ』誌上で『性悪猫』『しんきらり』などの作品を立て続けに連載する。長井勝一(ガロ編集長)、つげ義春(漫画家)、上野昂志(評論家)らから高い評価を得ている。 なお、無名時期の杉浦日向子(漫画家から後に江戸風俗研究家に転身)や近藤ようこ(漫画家)がアシスタントとして参加していることは有名。 1980年代からは、女性詩人の大家である吉原幸子主宰の『現代詩ラ・メール』に詩画連載『樹のうえで猫がみている』を発表した。またH氏賞・高見順賞受賞詩人でもある井坂洋子と合作『夢の迷子たち』などを刊行している。 1989年の第15回参議院議員選挙には、ちきゅうクラブ公認で比例区から立候補したが落選している。 毎日新聞生活家庭欄連載のイラストエッセイ『お勝手に』は1994年から3年という異例の長期連載となった〔東京本社版と西部本社版のみに掲載。西部本社版は連載途中で打ち切りになった。〕。1992年2月からは筑摩書房より『やまだ紫作品集』全5巻の刊行が始まり、それぞれの解説には山田太一、井坂洋子、久田恵、上野昂志らが執筆。 1993年には『ガロ』2・3合併号でやまだ紫特集が組まれ、その際はつげ義春、高橋章子、井坂洋子、内田春菊、黒川創らがコメントや文章を寄せた。 1997年3月には漫画家としては早い時期に公式サイト「やま猫SOMETEIMES」(現・やまねこねっと )〔やまだ紫没後に移動、保管されているウェブサイト。元のドメインであるyamanekonet.comを現在取得しているのは無関係の団体。〕をオープンしている。 2002年に腎臓摘出手術を受けた後は、術後の患部の痛みや膵臓炎によるI型糖尿病とも戦い、入退院を繰り返すようになる。 2004年からは歌人の宮柊二主宰「コスモス」よりの依頼で詩画連載「見上げれば虹」を連載(大学教授就任で中断)。 2006年から京都精華大学 マンガ学部ストーリーマンガ学科の専任教授に就任、後進の指導にもあたった。 2007年から京都に在住し、2009年5月5日午前4時16分、京都市内の病院にて脳内出血のため死去。享年62(満60歳) 〔やまだ紫 永眠 白取特急検車場【闘病バージョン】、2009年5月5日付〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「やまだ紫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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