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やまひろクラヤ三星堂 : ウィキペディア日本語版
やまひろクラヤ三星堂[やまひろくらやさんせいどう]
株式会社やまひろクラヤ三星堂(やまひろくらやさんせいどう)は、山梨県中央市に本社を置く、医薬品・医療機器の卸売りを扱う企業で、メディセオ・パルタックホールディングスグループの一社であった。
2009年10月に同じグループ会社の株式会社クラヤ三星堂に吸収合併され、株式会社メディセオとなった。
== 概要 ==
1899年(明治32年)の創業。医薬品・医療用品の卸業者。山梨県で大正時代の卸企業組合で昭和まで残ったのは、「廣瀬薬局」と「小林至誠堂」のみである。
昭和初期の不況は想像も及ばぬ深刻なものであった。1937年(昭和12年)日華事変勃発、この頃から重要物資が随時統制され、戦火が熾烈になるに及び医薬品の統制が始まり、山梨県でも1941年(昭和16年)4月資本金19万円で「山梨県医薬品配給統制会社」を設立した。1945年(昭和20年)7月甲府市が空襲され店舗が全滅し甲府市の大半が焼け野原になった。医薬品は市外の安全な場所に移転させておいたため難をのがれる。1948年(昭和23年)店舗を再建する。
1959年(昭和34年)頃から県外からの同業者が進出してくる。1975年(昭和50年)には「株式会社小林至誠堂」・「中日本薬業株式会社」・「株式会社廣瀬薬局」・「大森薬品株式会社・甲府支店」・「鍋林株式会社・甲府支店」・「小林大薬房・甲府支店」・「株式会社スズケン・甲府支店」の7社となった。1982年(昭和57年)に中央自動車道が全線開通し、東京よりの所要時間が1時間30分に大幅短縮された。さらに1980年(昭和55年)4月に全国で最後より2番目に山梨医科大学が開校した。1983年(昭和58年)には大学附属病院が320床に増床され、山梨の医療の中核となる。
2004年(平成16年)4月から従来の山梨県に加え長野県にも営業エリアを拡大。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「やまひろクラヤ三星堂」の詳細全文を読む



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