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らき☆すた神社 : ウィキペディア日本語版
鷲宮神社[わしのみやじんじゃ]

鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)とは、埼玉県久喜市鷲宮1丁目に所在する神社である。一説には関東最古の大社とされる。また、お酉様の本社とされる。天穂日命とその子の武夷鳥命、および大己貴命を祭神とする。
なお、本記事で取り上げる本社の鷲宮神社だけでなく、周辺には数多くの同名の支社が存在し、久喜市内にも下早見〔久喜ウォーキングマップ ふれあいコース 久喜市商工会ホームページ 〕・八甫〔「東鷲宮駅コース」 久喜市観光ウォーキングマップ 久喜市ホームページ(PDFファイル) 〕に支社がある。また、栃木県栃木市には「下野国鷲宮神社」があるため、本記事の鷲宮神社を便宜上「武蔵国鷲宮神社」と呼称することがある。

== 歴史 ==

社伝によれば、神代の昔、天穂日命が東国を経営するために武蔵国に到着し天穂日命のお供の出雲族27人の部族と地元の部族が当地の鎮守として大己貴命を祀ったのに始まると伝える。その後、日本武尊の東国平定の際、別宮を建てて天穂日命と御子神の武夷鳥命を祀ったという。ただし、これらのことは『延喜式神名帳』や『国史』に記載がない。
また別名を土師の宮(はにしのみや)とも言われ、一説には崇神天皇時代河内国から東国へ移住した土師氏下総国浅草から利根川を上って当地に移住した際に先祖を祀ったのが起源ではないかと言われている〔詳細は、神話の森>歌語り風土記 はにしの宮(埼玉県)を参照 〕。そして、「はにしのみや」がいつしか訛って、現在の「わしのみや」になったとされる。後述する神楽は、伝承に基づいて「土師」の名称を用いている。
中世以降には本社周辺の地域が将軍領となり、総社として扱われたことから関東の総社・関東鎮護の神社として東国の武家の崇敬を受けた。建長3年(1251年)、北条時頼が当社に奉幣祈願したことが『吾妻鏡』にあるほか藤原秀郷新田義貞古河公方関東管領の歴代上杉氏などが幣帛の奉納、神領の寄進、社殿の造営などを行っている。天正19年(1591年)、徳川家康が社領400石を寄進し歴代の将軍も朱印状を発行して社領を安堵した(朱印地)。
江戸時代初期から明治時代初期まで、神社所領は大内氏が治めた(所領約1000石)。江戸時代初期、徳川家光日光東照宮参拝の際、利根川渡河の警備に参加した大内氏は家光が利根川に落水した際これを助けた。この功により本来ならば領地を加増されるところであったが、関ヶ原から間もない時期でその余裕もなかったためかその代わりに江戸城内での1万石の格式を与えられた。そのため江戸城への登城時は大名が通される部屋に通され、また大内氏の用人は江戸城内では「家老」待遇となったと伝えられる。
明治元年(1868年)、明治新政府により準勅祭社(東京十二社)の1社に指定された。
明治初頭の寺院整理神社統合により、別当大乗院は廃止された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Washinomiya Shrine 」があります。



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