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アイスホッケー女子日本代表(アイスホッケーじょしにほんだいひょう)は、オリンピックを始めとするアイスホッケーの国際大会に出場する日本アイスホッケー連盟による女子ナショナルチームである。 日本のアイスホッケー女子の競技人口は2014年現在、1500人余りとなっている〔。 愛称は「スマイルジャパン」(2013年に決定〔朝日新聞デジタル:愛称は「スマイルジャパン」 アイスホッケー女子代表 〕)。 == 歴史 == 1990年、第1回女子アイスホッケー世界選手権に初出場して最下位。翌大会以降は予選で敗れて世界選手権(1992、1994、1997)に出場できないまま、1998年の長野オリンピックに開催国枠でオリンピックに初出場したが、世界の強豪の前に5戦全敗で6チーム中最下位に終わる。 1999年、この年より創設された世界選手権グループBの決勝でノルウェーを7-1で破って優勝。翌2000年はトップディヴィジョンに昇格したが最下位になり、1年でディヴィジョンIに降格。2001年2月にスイスで行われたソルトレイクシティーオリンピック予選は2分1敗で敗退した。 2004年11月、ロシアのポドリスクで行われたトリノオリンピック予選はロシア、チェコと同グループなり、チェコに4-1で勝利した後のロシア戦は得失点差の関係で引き分けでも予選通過が決まる状況だったが2-3で敗れて敗退した。 2007年の世界選手権ディヴィジョンIは全勝で優勝してトップディヴィジョンに昇格。2008年2月、飯塚祐司が監督に就任。4月の世界選手権トップディヴィジョンでは、7-9位決定リーグ戦で中国を3-1で破って9チーム中7位になり、初めてトップディヴィジョン残留に成功(2013年大会終了時点で最高順位)。しかし、同年11月に上海で開催されたバンクーバーオリンピック予選ではチェコに3-2、ノルウェーに3-1で2連勝したが、最終戦で中国に0-2で敗れて予選通過に失敗した。世界選手権でも翌2009年大会8位でディヴィジョンIに降格。 2012年2月、元アイスホッケー女子カナダ代表のトリノ・バンクーバー両オリンピック金メダリスト・カーラ・マクラウドをコーチに招聘。11月にはメンタルトレーナーも招聘〔“日本人らしいプレー”で五輪出場!女子アイスホッケーが強くなった方法 〕。コーチらはチームに笑顔・明るさをもたらし、2013年2月にスロバキアのポプラトで開催されたソチオリンピック最終予選では、初戦のノルウェー戦で3点を先行されたが、4点を入れ返して逆転勝利。2戦目のスロバキア戦はGWSの末、0-1で敗れたが、最終デンマーク戦を5-0で大勝してグループ1位となり、初めて予選を突破してのオリンピック出場が決定。予選後、笑顔というコンセプトを持ち続けて勝利を勝ち取った選手らの希望によりチームの愛称が「スマイルジャパン」に決まった〔女子代表チーム愛称「Smile Japan」発表 日本アイスホッケー連盟2013年03月28日〕〔成田空港で行われた記者会見で「スマイルジャパン」の愛称を報道陣の前でアピール 〕。同年4月の世界選手権ではディヴィジョンI優勝を達成し、トップディヴィジョンに昇格。 2014年2月、ソチオリンピックでは予選リーググループBでスウェーデンに0-1、ロシアに1-2と世界ランクで格上の相手に善戦したが得点力不足で惜敗し、予選リーグでの敗退が決定。その後は五輪初勝利をかけて予選リーグ第3戦ドイツ戦、順位決定予備戦ロシア戦、7・8位決定戦ドイツ戦を闘ったが、いずれも敗れて初勝利をあげることはできなかった。5試合で127本のシュートを打ちながら6得点にとどまり、19回あったパワープレーで1得点もあげることができず、決定力不足であった。 6月、飯塚監督やマクラウドコーチらが退任し、コーチの藤沢悌史が監督に就任した。11月、ソチオリンピック最下位の日本は2014年世界選手権ディヴィジョンIAで優勝したチェコと2015年世界選手権トップディヴィジョン出場権をかけて、新横浜スケートセンターで2戦先勝方式の入れ替え戦を行った。第1戦で勝利した日本は第2戦を落としたが最終第3戦を2-1で辛勝し、通算2勝1敗でトップディヴィジョン残留が決定した。 2015年3月開幕の世界選手権の予選リーグでは、2位と勝ち点差1の3位で突破できなかったが、ソチオリンピック4位の開催国スウェーデンとドイツを破った。トップディヴィジョン残留決定戦でもドイツに2連勝して残留が決定した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アイスホッケー女子日本代表」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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