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『アイヴァンホー』(''Ivanhoe'')は、スコットランドの作家サー・ウォルター・スコットが1820年に発表した長編小説。架空の主人公を歴史的な出来事の中に入れる手法の元祖ともいわれている。 == 背景 == 物語の舞台は、後述するリチャード1世の解放から、1194年にかけての時代と思われる。 1066年のノルマン人の征服のため、先住民のサクソン人貴族の多くが没落した。1086年の検地帳(ドゥームズデイ・ブック)では、王の直臣180人のうち旧来のサクソン系は6人、16の司教座のちサクソン系は1つのみという徹底した貴族層の入れ替えが行われる。そのため、イングランドでは封建的な豪族の上に王が載るのでない、強力な王権が形成された。 ヘンリー2世はプランタジネット朝の始祖であり、ノルマンディー公領を中心に隣接するアンジュー伯領とイングランド王領という広大な勢力圏を持っており、アキテーヌ公の一人娘アリエノール・ダキテーヌを妻としていた。2人の間にはウィリアム(夭折)を除くと若ヘンリー、リチャード、ジェフリー、ジョンの4人の男子がいた。若ヘンリーはノルマンディーとアンジュー(及びイングランドの共同統治)、リチャードは母親アリエノール・ダキテーヌの所有するアキテーヌ、ジェフリーはブルターニュ公へ婿入りとそれぞれ分配されたが、この時2歳だった年少のジョンは領土を分配されず、そのために欠地(Lackland)と仇名された。ジョンは後にアイルランドを分配されたが、統治に失敗して逃げ帰っている。 1183年に若ヘンリーが死ぬと、ノルマンディー、アンジュー、イングランドはリチャードに継承されることになったが、その際にリチャードはアキテーヌ公領をジョンに譲渡することを拒否した。そのため、ジョンはまとまった領土がない状態であった。当時のプランタジネット朝(アンジュー帝国)の中心地は北フランスであり、イングランドは辺境の領土であった。 1189年にリチャードは父に再度反乱を起こし、ヘンリー2世を打ち負かした。ヘンリー2世は失意のうちに死に、リチャードは王位を継いだ。 1187年のエルサレム陥落後から十字軍結成の機運が高まり、第3回十字軍が実施された。リチャードはイングランドのあらゆるもの(土地・官職・臣従権など)を売り払って軍資金とし、1189年にイングランドを発った。リチャードは仇敵のフランス王フィリップ2世と肩を並べて聖地入りすることにしていたが、足並みは揃わず、フランス王はさっさと先に帰国してリチャードの領土を侵略しはじめた。本来は神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世も参加するはずだったが、行軍中に死亡していた。フリードリヒ1世の軍勢はオーストリア公レオポルト5世の軍として参加したが、彼はアッコン陥落の際にリチャードに体面を傷つけられて恨みを抱いていた。オーストリア公旗はイングランド王旗やフランス王旗に比べ格が落ちるとして、リチャードが塔から軍旗を引きずりおろしたためだという。 フランス王フィリップ2世は王弟ジョンを巻き込んでイングランドに対する攻勢を続けていたため、1192年、エルサレム攻撃を果たせずにリチャードは帰国したが、帰途神聖ローマ帝国領内で捕縛され、レオポルト公の捕虜になってしまう。しかしその居所が分かると身代金が支払われ、リチャードは自由を取り戻した。フィリップ2世はこの情報をジョンに知らせたが、その描写が小説にもある。 また、森林法という、本来は狩猟を行うための森林を直轄領として民衆が利用するのを厳しく制限した法律が制定され、それは後に拡大していき、森林も領域を広げていった事情があった。森の義賊ロビン・フッドはアウト・ローのヒーローとしてイングランド人の中で伝説となっていた。 また、ユダヤ人に対する偏見や差別が根底にある時代であり、主人公であるウィルフレッドも過剰ではないにしろ、ユダヤ人に対する偏見はもっている。 王が不在の中、フランス王の後ろ盾で横領を行うジョン、そしてサクソン人の再興を願うセドリックという状況下で小説は始まる。 ただし、作中で描かれたノルマン人とサクソン人の対立は、いささか時代錯誤的なものである事を作者は認めており、本作はそれを承知で描かれたフィクションである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アイヴァンホー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ivanhoe 」があります。 スポンサード リンク
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