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アイリーン・ダイアモンド(Irene Diamond、1910年5月7日 - 2003年1月21日)は、ハリウッドで活躍したアメリカ合衆国のタレント・スカウト。後年には、フィランソロピー(慈善活動)で広く知られた。 ペンシルベニア州ピッツバーグで、移民の両親のもとにアイリーン・リヴァイン(Irene Levine)として生まれた。 若いころはアイリーン・リー(Irene Lee)という名で、ニューヨークで女優を目指したが、もっぱらモデルとして活動した〔。 ニューヨークのワーナー・ブラザーズにフリーランスとして出入りした後、ハリウッドの本社で、ハル・B・ウィリス(Hal B. Wallis)の下で脚本編集者(Script editor)として働くことになった。以降、25年にわたって脚本の発掘と推薦に従事し、『マルタの鷹 (1941年の映画)|マルタの鷹』や『愛の勝利』の原作を発掘した。後年、ウィリスがパラマウント映画に移った後も協力関係は続いた〔。 タレント・スカウトとしては、バート・ランカスター、カーク・ダグラス、ロバート・レッドフォードなどの活躍に途を拓き〔、また、脚本編集者(Script editor)として、『カサブランカ』の原作となった「''Everybody Comes to Rick's''」という脚本の購入を会社(ワーナー・ブラザーズ)に強く勧めたことがよく知られている〔。 1942年には、不動産業者として知られたアーロン・ダイアモンド(Aaron Diamond)と結婚して、ニューヨークに拠点を戻し、以降、終生ニューヨークに住んでいた〔。1984年に、夫が巨額の遺産を残して急死した後、アイリーンは夫の名を冠した財団(the Aaron Diamond Foundation)の代表となり、1987年から1996年までの10年間に、ニューヨーク市の様々な組織に資金提供を行なった〔。対象となった寄付先にはAIDSなど医療に関するものや、ジュリアード音楽院など教育・文化に関するものが含まれていた。 1999年には、当時のクリントン大統領からナショナル・メダル・オブ・アーツ(国民芸術勲章)(National Medal of Arts)を授与された。 == 出典・脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アイリーン・ダイアモンド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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