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ホルヒ(''Horch'' )は第二次世界大戦中まで存続したドイツの自動車メーカーおよびそのブランド。戦前ドイツを代表する高級車ブランドであった。 ホルヒは創業者の名だが、ドイツ語の「耳を傾けて聞く」と言う意味の"horchen"でもある。現代の自動車ブランド「アウディ」はこれをラテン語に訳したもの。 == 沿革 == === 創業期 === 1898年11月14日、アウグスト・ホルヒは当時工場長を務めていたベンツ社から独立し、自らの名前の付いた自動車製造工場を設立するに至った。 コローヌにあったこの工場の設立当初は自動車の修理工場だったが、やがて完成車の設計を行うようになり、生産工場となった。1901年に第1号自動車「Type 4/5PS」を完成させる。 翌年には生産拠点をブラウンに移し、さらに2年後の1904年には工場をザクセン州ツヴィカウに移転する。 ホルヒの生産する自動車は、アルミ製エンジンの採用など先進的な設計を用いており、高品質で性能は優れていた。1906年には「タイプ18/22ps」が当時のドイツにおける大自動車レースであった「ヘルコマー・カップ」に出場、最小排気量車ながら見事に優勝する。 これに伴い、ホルヒの生産台数は年々伸びていった。2度も工場移転したのはそのためである。しかし、アウグスト・ホルヒは技術と品質を過度に重視し、経営面への配慮を欠く傾向があった。このため出資者である経営陣との対立が起き、1909年にアウグスト・ホルヒは会社を去ってしまう。 直後、アウグスト・ホルヒは新たに「アウグスト・ホルヒ自動車製作有限会社ツヴィッカウ」を興し、「ホルヒ」の車名を使って自動車を製造する。しかし、旧ホルヒ社の経営陣はアウグスト・ホルヒに「ホルヒ」名の使用差し止めを求めた。裁判の結果「ホルヒ」ブランドを使えなくなったアウグスト・ホルヒは、新たにアウディ社を立ち上げることになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ホルヒ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Horch 」があります。 スポンサード リンク
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