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アウストラル航空2553便墜落事故 : ウィキペディア日本語版 | アウストラル航空2553便墜落事故[あうすとらるこうくう2553びんついらくじこ]
アウストラル航空2553便墜落事故は、1997年10月10日にアウストラル航空2553便が、現地時間22時10分にウルグアイのに墜落した航空事故である。 == 事故の概要 == 2553便はポサーダスからブエノスアイレスに向かう定期便で、20時20分にポサーダスを離陸したが嵐を避けるためににダイバートすることを決定した。その直後フライトデータレコーダーによると速度計の示す速度が低下し始めた。これはピトー管が凍結して塞がれたことにより速度計に異常が発生しており、実際の速度は変化していなかったがパイロットはこれを推力の低下が原因と判断して推力を増加させた。しかし改善されなかったため管制官に低高度への降下を要請。返答がなかったためパイロットは失速速度を下げようとして高度30000フィートでスラットを展開させた。展開させたとたんに主翼上の気流が非対称になって機体は操縦不能に陥り22時10分にウルグアイ川沿いの沼地に時速1200kmで墜落、搭乗していた74人全員が死亡した。 アルゼンチン空軍とウルグアイ空軍が調査を行った結果、高度15000フィートで雲中に入った時にピトー管が凍結したことが判明した。フライトデータレコーダーのデータでは急降下中にピトー管の凍結が解け速度表示が正常に戻ったため速度計が3秒間で時速300kmから800kmに増加している。
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