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アウトドローモ・ホセ・カルロス・パーチェ〔ポルトガル語の発音にならえば「アウトードロモ・ジョゼ~パセ」とすべきだが、イタリアのサーキットで使われている慣用にならい、この記事では「アウトドローモ~パーチェ」と表記している。なお「ホセ」はスペイン語読み。〕()は、ブラジルの南部サンパウロ市にあるサーキット。インテルラゴス () とも呼ばれる。F1ブラジルGPが行われる。 ==概要== サンパウロ近郊のグアラピランガ湖とビリングス湖の近くにあるサーキットで、「インテルラゴス」は「湖の間」という意味がある。もともとインテルラゴスの湖畔地域は著名な別荘地であるものの、サーキット周辺の土地は湖からも遠いため不動産業者が宅地開発に不向きと判断して1930年代にサーキットを建設し、1936年にオープンした。しかし、1970年代以降のブラジル経済の急成長によりサーキット周辺に住宅地が形成され、現在は高層アパートが立ち並ぶベッドタウンになっている。 サーキット名は1970年代にブラバムに在籍したサンパウロ出身のF1ドライバー、ホセ・カルロス・パーチェに由来する。パーチェは1975年のブラジルGPで地元においてF1初優勝を達成し、1977年に飛行機の墜落によって死亡した。 1936年〔の開設後、サンパウロ周辺で最大のサーキットであることからF1から国内選手権、地方選手権まで多くのレースが開催されている。ブラジルGP初開催は1973年。南米におけるF1開催は1998年までアルゼンチンGPが行われていたが、現在は当地で行われるブラジルGPのみである。 旧レイアウトでのグランプリ開催はグランド・エフェクト・カーの台頭による安全面の問題や、サーキット周辺の治安悪化問題が原因となり1980年で終了し、1981年からはリオデジャネイロのジャカレパグアへ移った。その後レイアウトを短縮し、1990年にブラジルGPの開催地がインテルラゴスに戻り、最初の優勝者はアラン・プロストとなった。 1991年から2000年までの10年間のうち、1993年のアイルトン・セナ以外はこのグランプリの優勝者がワールドチャンピオンになっており、一時はブラジルGP(インテルラゴス)を制すものはタイトルを制すと、一部でジンクスのごとくささやかれた。2004年以降はシーズン終盤の開催となり、2005年から2009年まで5年連続でチャンピオン決定の場となった。 サンパウロは標高800mの高原地帯に位置するため天候が変わりやすく、レース中に通り雨が降ることがある。ブラジルGPでは1993年のセナの逆転優勝や2003年の赤旗レース終了前にトップとなったジャンカルロ・フィジケラの逆転優勝、2008年の最終ラップのチャンピオン決定劇といったドラマを演出している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「インテルラゴス・サーキット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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