|
アグネス・エアーズ(Agnes Ayres、1898年4月4日 - 1940年12月25日)は、サイレント映画時代に活躍したアメリカ合衆国の女優。ルドルフ・ヴァレンティノと共演した映画『シーク』のダイアナ・メイヨ役が有名である。 == 来歴 == 1898年4月4日、イリノイ州カーボンデールでソロンとエマ(旧姓スラック)・ヘンケル夫妻を両親に、アグネス・エア・ヘンケルとして生まれる。彼女には10歳年上の兄ソロン・ウィリアム・ヘンケルがいた。1914年、エッサネイ・スタジオ所属の監督の目にとまり、群衆シーンのエキストラとしてデビューした。 演技の仕事を続けるため母親とニューヨークに移り、女優のに見出される。ジョイスは2人の外見的類似に注目し、エアーズは1917年の映画『Richard the Brazen』でジョイスの姉妹役を射止めた。パラマウント映画の創設者が彼女に関心を持ったため、仕事が追い風に乗っていった。ラスキーは南北戦争を描いた『Held by the Enemy』(1920年)にエアーズを主演させ、その上セシル・B・デミル監督の作品に彼女を出演させてくれるよう懇願した。この間第一次世界大戦中に結ばれた陸軍士官のフランク・P・シュッカー大尉と結婚するも直ぐに離婚。そしてラスキーと交際を始めた。 1921年、『シーク』で「ラテン系の色男」ルドルフ・ヴァレンティノの相手役としてイギリスの令嬢ダイアナ・メイヨを演じ、エアーズはスターダムにのし上がった。1926年の続編『』でも再びダイアナを演じている。『シーク』出演後はウォーレス・リード主演の『』(1921年)、『』(1921年)、セシル・B・デミル監督の大作『十誡』(1923年)など多くの作品で立て続けに主要な役を演じた。 1923年には、ジェシー・ラスキーとの関係が終わり、仕事にも陰りが見えてきた。1924年、メキシコの外交官S・マニュエル・レアーチと結婚、2人は1927年に別れたが娘が1人産まれた。 1929年、ウォール街大暴落で動産も不動産も失う。同年、主演の『』で最後となる主要な役を演じた。稼ぐために映画女優を休業し、ヴォードヴィルサーキットに出演。1936年、復帰出来ると信じて映画界に戻った。意に反して主演級の役を充てられる事も無く、やや太り過ぎてもいて、多くはクレジットもされない端役で出演。1937年、ついに女優業から完全に引退した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アグネス・エアーズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|