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アグネス・ザルム=ザルム(Agnes Salm-Salm、1844年12月25日 – 1912年12月21日)は、プロイセンの貴族フェリックス・ザルム=ザルムの妻になったアメリカ人女性。南北戦争、メキシコ出兵と普仏戦争で傭兵として従軍した夫に連れ添った。 == 南北戦争 == アグネス・ザルム=ザルムは出生名をアグネス・エリザベス・ウィノナ・レクラーク・ジョイ(Agnes Elisabeth Winona Leclerc Joy)と言い、バーモント州フランクリンでアメリカ合衆国の軍人William Leclerc Joy (1793年 – )とJulia Willard (? – 1882年)との間に生まれた。彼女の父方の曽祖父はMica Joy (1753年 – 1826年)であり、Mercy Terrill (1764年 – 1843年)と結婚した。 彼女の生い立ちについてはほとんどわかっていない。多くの学者が、彼女はサーカスで働いており、キューバで女優をしていたと考えている。1861年にアメリカ合衆国に帰国後すぐに、バーモント州を離れ、ワシントンD.C.に嫁いだ姉妹のもとを訪ねている。ワシントン滞在中に彼女はフェリックス・ザルム・ザルムと出会った。彼女はある朝、騎馬で街を通っていると、その時彼女を初めて見たフェリックスは彼女をパーティに招待することを決めた。そのパーティで彼は彼女に求婚し、1862年8月に二人は結婚した。アグネスはフェリックスと長い間にわたり暮らしを別にし、彼の転戦に付き従った。彼のキャンプでは彼女は、医学の知識はなかったが傷病兵の看護をした。 4年間、彼女は軍とともに行動を共にし、ヴァージニアを訪れた唯一の女性であった。大佐の夫人として、彼女は兵士のために計画されたワゴンと物資とを手配し、そのためにしばしばこれらを盗んだりもした。 これはエイブラハム・リンカーン大統領が解決しなければならない物議をかもした。1863年1月、軍はヴァージニア州 :w:Aquia Creekに行くように命令された。アグネスは夫について行った。 そこで彼女はリンカーン大統領に3度キスする賭けをした。大統領の訪問中に彼女はそれをやってのけた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アグネス・ザルム=ザルム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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