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アシュモア・カルティエ諸島 : ウィキペディア日本語版 | アシュモア・カルティエ諸島[あしゅもあかるてぃえしょとう]
アシュモア・カルティエ諸島(Ashmore and Cartier Islands、アシュモー諸島・カーティエ島とも表記される)はインド洋、また60Kmを隔ててティモール海に浮かび、アシュモア岩礁とカルティエ岩礁の3つの珊瑚礁からなるオーストラリア領の無人島。 この島は790Kmに位置するノーザンテリトリーの州都ダーウィンが管理している。無人島だがウェスト島に自動気象観測所がある。 オーストラリア政府と協定の下、砂地と珊瑚礁の海域はインドネシア人の漁場になっていた。しかし、乱獲が目立つようになり、政府はインドネシア人の漁を監視するようになった。20世紀の半ばに、オーストラリアとインドネシアではインドネシアの伝統的な漁師の協定交渉の権利を公認した。オーストラリアの海底油田に隣接する領域からの石油の抽出を管理している。 == 歴史 == 1700年代まではインドネシア人の漁師が訪れていたが、1800年イギリス船カルティエ号のナッシュ船長により、カルティエ岩礁が発見され、船名に因んでカルティエと名付けられた。アシュモア岩礁は1811年2月イギリス海軍ハイバーニアの船長サミュエル・アシュモアにより、発見され、船の名からハイバーニア岩礁と名付けたが、後に船長の名から現在のアシュモアと名付けられている。1850年代にはアメリカの捕鯨船がアシュモア岩礁で運営し、リン酸を採掘していた。1878年アシュモア岩礁はイギリス領となった。1880年1月5日には944tの鉄の艀がアシュモア岩礁のアンミリ・セント・カルティエ礁で座礁している。アシュモア岩礁はアメリカとイギリスとの間で領有を主張し合っていたが、1909年にカルティエ岩礁と共に統合されイギリス領となった。1933年に両岩礁はオーストラリア領となり、1938年にノーザンテリトリーの管理下に置かれる、1978年までオーストラリア政府に置かれる。1983年にアシュモア岩礁国立保護公園(Ashmore Reef National Nature Reserve)が設立され、1985年アシュモア岩礁が自然保護区に指定。2002年にアシュモア岩礁国立保護公園がラムサール条約登録地となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アシュモア・カルティエ諸島」の詳細全文を読む
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