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アストゥリアス王国 : ウィキペディア日本語版
アストゥリアス王国[あすとぅりあすおうこく]

アストゥリアス王国(アストゥリアスおうこく、アストゥリアス語: 、スペイン語: 、ラテン語: )は、イベリア半島にかつて存在した王国。
711年(または712年)、でイベリア半島をイスラーム勢力(ウマイヤ朝)が征服し、西ゴート王国が滅亡した。この際、イスラームへの抵抗を続けた西ゴート王国の貴族ペラーヨは、イベリア半島北西部にまで逃れ、在地のアストゥリアス人勢力と結んで、アストゥリアス王国を建国した。イスラーム勢力の攻撃を受けるが、722年頃にで勝利して独立を保つと、カンガス・デ・オニスを都として支配を固めた。
アルフォンソ2世の時代にガリシア地方へと版図を拡大し、聖ヤコブ守護聖人とするサンティアゴ大聖堂を設けた。また、カンガス・デ・オニスにかわりオビエドを支配の拠点とした。このころより、イスラーム勢力に対する反撃が進められた。ガルシア1世の時代に、都はオビエドからレオンへと遷された。これ以降の王国はレオン王国と称される。
== 参考文献 ==

*立石博高編 『新版世界各国史16 スペイン・ポルトガル史』 山川出版社2000年

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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