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アズィーム・ウッダウラ : ウィキペディア日本語版
アズィーム・ウッダウラ

アズィーム・ウッダウラ(Azim ud-Daula, 1775年1819年8月2日)は、(年金受給者としての)南インドカルナータカ太守(在位:1801年 - 1819年)。本名はアブドゥル・アリー・ハーン(Abdu'l Ali Khan)という。
== 生涯 ==
1801年7月15日カルナータカ太守である叔父ウムダトゥル・ウマラーがに突如として急死し、甥のアズィーム・ウッダウラが太守位を継承した〔Arcot 12 〕。
叔父ウムダトゥル・ウマラーはその治世の間にイギリスから第四次マイソール戦争への内通を疑われ続け、その死があまりにも急だったため、イギリスに暗殺されたのではないかとささやかれていた。彼の死を機に、イギリスはこの問題に決着を着けようとした。
同年7月26日、イギリスはアズィーム・ウッダウラの継承を認めたが、
同時にカーナティック条約を締結させた〔。この条約ではカルナータカ太守はその全権と全領土をイギリスに委譲せねばならず、これにより太守はイギリス保護下の年金受給者となった〔〔チャンドラ『近代インドの歴史』、p.76〕。
アズィーム・ウッダウラは委譲した領土の5分の1から得られる歳入という莫大な年金で暮らし、1819年8月2日に死亡した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アズィーム・ウッダウラ」の詳細全文を読む



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