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阿塔海[おもねとうかい]
阿塔海(Ataγai, アタカイ、アタガイ、アタハイ、1234年 - 1289年)は大元朝に仕えた政治家・軍人。弘安の役の際の江南軍総司令官。 == 生涯 == チンギス・カンの時代に伝令使として活躍したスルドス部族のタガイ・バアトルの息子ブカ(卜花)の子。父ブカの死後モンケの時代、1252年にクビライ率いる雲南遠征軍の副司令であったスベエデイの子ウリヤンカダイに従ってこの地域の征服に従事した。 モンケの没後ウリヤンカダイの軍と共に続くクビライによる大元朝の対南宋戦でも丞相バヤンやウリヤンカダイの子アジュウ(阿朮)らに従い活躍した。1272年(至元9年)に襄陽包囲線などで戦功をたて、このため翌1273年に鎮国上将軍、 淮西行樞密院副使を授けられ、さらに中書右丞行枢密院事となる。南宋遠征はさらに続行されて揚州を攻め、長江で張世傑および孫虎臣の南宋水軍を撃破した。1275年(至元12正月)、南宋の首都臨安が降伏するとアタカイも臨安に入り、翌1276年に栄禄大夫平章政事行中書省事に任じられた。1278年(至元15年)、上京してクビライに謁見し、左丞相となり臨安を管轄した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿塔海」の詳細全文を読む
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