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アタ・ジュルト党[あたじゅるととう] アタ・ジュルト党はキルギスの政党。政党名は「祖国」という意味。党の政治基盤はキルギス南部だが、政党本部は首都ビシュケクにある。党首はカムチュベク・タシーエフ(:en:Kamchybek Tashiev)。 2004年9月にローザ・オトゥンバエヴァにより設立された組織とは別である〔浜野道博『検証キルギス政変天山小国の挑戦』東洋書店、2011年、42頁。〕。(こちらは2007年にアク・ジョル党(輝く道)によって吸収された〔中西健「キルギス共和国初の比例代表制に基づく議会選挙 ―南北の地域軸と政治技術の利用―」『日本大学大学院総合社会情報研究科紀要』No.8、2007年〕。) 2010年キルギス騒乱でクルマンベク・バキエフ大統領が失脚した後、旧バキエフ政権に近かったキルギス南部の政治エリートを中心に結党された〔浜野174,186頁〕。同年10月の総選挙ではオトゥンバエヴァ暫定政権に対抗し、120議席中28議席を獲得して第一党となった。2011年10月のキルギス大統領選挙では、タシーエフは「大統領の権力強化」「キルギス人のためのキルギス」というスローガンを抱えて立候補したが、アルマズベク・アタンバエフに敗れた〔時論公論 「キルギス大統領選挙・民主化は根付くか」NHK〕。連立政権からも離脱し、キルギス人民族主義政党として他党と対立〔“Opposition risks Kyrgyzstan’s stability in protests” The Washington Times, 2012年10月12日〕。 2015年の総選挙では同じ野党であった共和党と連合して望んだが、議席を大幅に減らした。
== 脚注 == 〔
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アタ・ジュルト党」の詳細全文を読む
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