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アダイ・ハーン
アダイ・ハーン(、 英語:Adai Khan、1390年〔岡田『モンゴル帝国から大清帝国へ』、272頁〕 - 1438年)は、モンゴル帝国の第26代(北元としては第12代)大ハーン。漢語資料では阿台と表記される。 ==生涯== 北元の第8代大ハーン・オルク・テムルの子〔岡田『モンゴル帝国から大清帝国へ』、66頁〕。モンゴル語の年代記『蒙古源流』には、チンギス・カンの末弟であるテムゲ・オッチギンの子孫と記されている〔岡田『モンゴル帝国から大清帝国へ』、251頁〕。また、ティムール朝の君主ウルグ・ベクが著した歴史書『四ウルス史』と、それに基づく史料ではクビライの弟アリクブケの子孫と伝えられている〔岡田『モンゴル帝国から大清帝国へ』、253頁〕。 オイラダイ・ハーンの死後、1425年にアスト部の有力者アルクタイによってアダイがハーンに擁立された。1431年にオイラトのトゴン・タイシとの戦いに敗れ、本拠地のケルレン川流域部を追われる。1434年にアルクタイが敗死した後、トゴンによって大ハーンに擁立されたトクトア・ブハの攻撃を受け、部下のドルジ・ベク(朶児只伯)と共にエチナ路に逃れた。 アダイたちは表面上は明に帰順していたが、その実甘州、涼州に侵入して略奪を行っていた〔『騎馬民族史 正史北狄伝』3巻、17頁〕。1438年にアダイとドルジ・ベクは明軍にウルグナ(兀魯乃)で敗れ、追撃を受けて砂漠に退却した。150人の族長が明軍の捕虜となり、アダイたちは明に降伏した。降伏して間もなくアダイはトクトア・ブハに敗れ、捕殺された〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アダイ・ハーン」の詳細全文を読む
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