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アダド・ニラリ3世[あだどにらり3せい] アダド・ニラリ3世(Adad nirari III, 在位:紀元前810年 - 紀元前783年)は、新アッシリア王国時代のアッシリアの王。名前の意味は「神は我を助ける」である。 == 来歴 == シャムシ・アダド5世の息子として生まれた。即位した時まだ彼は幼く、治世5年目までは母の〔セミラミスのモデルとして知られる。〕が摂政となって政権を握った。このため、サムラマトに関係の深い宦官の勢力が増大し、後にアッシリアの王権が弱体化する一因となった。 しかし彼の時代は総じてアッシリアの拡大が続いた時代である。王自身の記録は少ないが、バビロニアへの遠征を成功させカルデア人らを征服した。また、その配下は多くの遠征を行ってアッシリアの領土を拡大した。軍総司令官に任じられたシャムシ・イルはシリアで軍事活動を行い、また配下のネルガル・エレシュは、紀元前796年、イスラエル王ヨアシュの攻撃を受けてダマスコが弱体化したのに乗じてダマスコを攻撃してその王ベン・ハダド3世を倒し、以後支配下においた。これらを含めて数多くの遠征があり、アッシリアの領土を拡大した。だが、これらの将軍(宦官の将軍も多かった)達は征服地において支配者のように振る舞い、地方州に対するアッシリア王の統制力は極めて弱化していった。 またニネヴェのナブー神殿をはじめとして各地に神殿を建築し、その国威を示した。彼の死後、彼の3人の息子(シャルマネセル4世、アッシュール・ダン3世、アッシュール・ニラリ5世)が順に王位を継承したが、アダド・ニラリ3世の時代に勢力を増した宦官や将軍達が強勢を振るうことになる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アダド・ニラリ3世」の詳細全文を読む
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