|
アダム・ケネディ(Adam Thomas Kennedy , 1976年1月10日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州リバーサイド出身の元プロ野球選手(二塁手)。右投左打。 ポジションはセカンドで、ショート・レフト・ファーストとしてのプレー経験がある。守備範囲は特に広くはないが堅実である。マイナー時代はショートだった。 ==経歴== のドラフトでカージナルスから1巡目(全体20位)指名を受けて入団。8月21日メジャーデビュー。そのオフにジム・エドモンズとのトレードで、ケント・ボッテンフィールド投手と共にアナハイム・エンゼルスに移籍。時折長打を放つ意外性の打撃と、堅実な守備でレギュラーに定着した。 は自身初の打率3割(.312)を記録。リーグチャンピオンシップシリーズでは1試合3本塁打を放つなど大活躍を見せ、シリーズMVPを獲得。チームもワールドシリーズを制覇した。9月の右肘靱帯断裂を機にアッパースイングからレベルスイングに変更。 はヒザの手術の影響もあり、4月は全休となった。復帰した5月は打率.250と低調だったが、6月に今までの出遅れと不振を吹き飛ばすかのように打率.435と打棒爆発。長打力こそ落ちたものの、3年ぶりとなる打率3割を記録した。は、開幕から正二塁手としてプレー。打率こそ.273と平凡だったものの、得点圏打率.339をマーク。その勝負強さを買われて中軸に座るなど、1 - 9番までの全打順を経験した。7年連続2桁盗塁となる16盗塁を決め、守備に就いた133試合で9失策と安定感を披露。ちなみに、同年8月16日のテキサス・レンジャーズ戦で、死球に怒ってマウンドに突進したため、4試合の出場停止処分を受けている。同年オフにFAとなり、堅守の二塁手を求めていた古巣カージナルスへ3年1000万ドルで8年ぶりに復帰。 2月9日、カージナルスから解雇されフリーエージェントとなった。 2月16日、タンパベイ・レイズとマイナー契約。開幕はAAA級ダーラムで迎えた後、5月8日にオークランド・アスレチックスへトレードされ、翌日にメジャー復帰を果たした。 2月12日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約。 1月10日にシアトル・マリナーズとマイナー契約。 1月10日にロサンゼルス・ドジャースと1年契約を結ぶ。 に、引退後、野球アカデミーを開校した。〔Kennedy is a rookie in a whole other ballgame 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アダム・ケネディ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|