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アダム・シャール : ウィキペディア日本語版
アダム・シャール

ヨハン・アダム・シャール・フォン・ベル(、1591年 - 1666年8月15日)は、ドイツイエズス会士。
日本の歴史教科書では「アダム・シャール」と表記されるが、ドイツ語での表記は「シャル」が近い。中国名は「湯若望」(とうじゃくぼう)。
==経歴==
1591年、西部のケルンで生まれる。1622年中国西安に渡航し、1627年北京に赴き布教に従事した。月蝕を予測し見事に的中したことから名声を博し、崇禎帝に召された。徐光啓と共に西洋天文学書を翻訳し、1642年その集成を『崇禎暦書』として宮廷に提出する。その傍らで望遠鏡大砲などを製造していた。
1644年が滅び、が中国を支配するようになると、彼は西洋天文学によるの作成を命じられ、翌年『時憲暦』を完成して献上した。1646年には順治帝によって欽天監監正(天文台長官)に任じられた。彼は代を除けば、中国で正式な官吏となった初の西洋人であった。しかし、これがかえって伝統的な天文学者や元代以来のイスラム天文学者の嫉妬を買い、讒言によって彼は失脚した。1665年、一旦は死刑宣告を受けたが、太皇太后のとりなしでかろうじて釈放され、翌年、北京で客死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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