翻訳と辞書
Words near each other
・ アチャコ
・ アチャコのどっこい御用だ
・ アチャサンニョク
・ アチャサン駅
・ アチャモ
・ アチャラポーン・コンヨット
・ アチャルプル
・ アチャンポン
・ アチャン族
・ アチャーヤ・ジャガディッシュ・チャンドラ・ボース植物園
アチュタ・デーヴァ・ラーヤ
・ アチュリ駅
・ アチュート
・ アチューリ駅
・ アチョリ
・ アチョリ人
・ アチョリ地域
・ アチョリ地方
・ アチョリ族
・ アチョリ語


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アチュタ・デーヴァ・ラーヤ : ウィキペディア日本語版
アチュタ・デーヴァ・ラーヤ

アチュタ・デーヴァ・ラーヤテルグ語:అచ్యుత దేవ రాయలు, タミル語:அச்சுத தேவ ராயன், Achyuta Deva Raya, 生年不詳 - 1542年)は、南インドヴィジャヤナガル王国トゥルヴァ朝の君主(在位:1529年 - 1542年)。

==生涯==

1529年、兄王クリシュナ・デーヴァ・ラーヤが死亡し、宰相のヴィーラ・ナラシンガ・ラーヤクリシュナ・デーヴァ・ラーヤの娘婿ラーマ・ラーヤがその後継をめぐり争い、前者の推した王弟アチュタ・デーヴァ・ラーヤが王となった。
だが、アチュタ・デーヴァ・ラーヤとヴィーラ・ナラシンガ・ラーヤはすぐに不仲となり、ヴィーラ・ナラシンガ・ラーヤはケーララ地方の領主らと組んで王に反乱を起こしたが、これは鎮圧された。
その後、アチュタ・デーヴァ・ラーヤは兄王クリシュナ・デーヴァ・ラーヤの治世末期にビジャープル王国に奪われたライチュール地方に兵を送り、この地方を奪還した。
一方、1530年代、武将のサラカラージュ・チンナ・ティルマラという人物がケーララ地方に遠征するなどして功を挙げたが、彼の姉妹はアチュタ・デーヴァ・ラーヤの妃であった。
とはいえ、1540年頃にアチュタ・デーヴァ・ラーヤはラーマ・ラーヤの姦計に陥り、晩年にはその実権を奪われていた。
1542年、アチュタ・デーヴァ・ラーヤは死亡し、その幼い息子のヴェンカタ1世が王位を継承した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アチュタ・デーヴァ・ラーヤ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.