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アッサニー・ポンラチャン : ウィキペディア日本語版
アッサニー・ポンラチャン

アッサニー・ポンラチャン(,
1918年9月15日 - 1987年11月28日)は、ナーイピーの名で知られるタイ詩人作家革命家ラーチャブリー県出身。
== 略歴 ==
アッサニーは、1918年9月15日ラーチャブリー県ムアンラーチャブリー郡タムボン・ナームアン バーン・ターサオで生まれる。1936年タンマサート大学政治学部入学。大学時代に文学に興味を持ち、ナーイピーのペンネームで創作を始める。卒業後、1941年12月21日三等検察補佐官としてパッタニー県へ赴任。サラブリー県アユタヤ県などを転々とし、1952年に離職。その後、ピブーンソンクラーム政権の言論統制の中、アッサニーは反政府活動に従事しつつ、ペンネームや居住地を変え、身を隠しながら作品を世に出していった。1961年にはタイ国共産党幹部サーイファイの名で再び姿を現したが、その後のタイ国共産党弾圧によりヴェトナム中国などに亡命を余儀なくされ、1987年11月28日ラオス ウドムサイ県にて客死。1997年11月22日アッサニーの遺骨はタイに返還された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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