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アティア・バルバ・カエソニア : ウィキペディア日本語版 | アティア・バルバ・カエソニア アティア・バルバ・カエソニア(、紀元前85年 – 紀元前43年)は共和政ローマ末期の人物。ローマ初代皇帝アウグストゥス(オクタウィアヌス)の母として知られる。父はマルクス・アティウス・バルブス、母はユリウス氏族カエサル家の出身、彼女はガイウス・ユリウス・カエサルの姪になる。''、紀元前85年 – 紀元前43年)は共和政ローマ末期の人物。ローマ初代皇帝アウグストゥス(オクタウィアヌス)の母として知られる。父はマルクス・アティウス・バルブス、母はユリウス氏族カエサル家の出身、彼女はガイウス・ユリウス・カエサルの姪になる。 ==概説== マケドニア属州総督で、元老院議員であるガイウス・オクタウィウスと結婚する。この結婚で小オクタウィアとガイウス・オクタウィウス・トゥリヌスを生む。しかし夫が執政官に立候補途中に死去、そして彼女はカエサル支持者であったルキウス・マルキウス・ピリップスと再婚する。再婚した夫は連れ子であった子供を可愛がり、義理の娘であるオクタウィアの結婚の取り決めを行い、小マルケッルスと結婚させた。 タキトゥスによると、彼女はとても信心深く、思慮に富んだ女性であったとの事である。またスエトニウスによるとオクタウィアヌスを生んだときに神がかり的な予兆を体験したと言う。 またカエサルが暗殺され、その後継者に息子オクタウィアヌスが指名されると、あまりの重責を恐れ夫ピリップスとともに息子にカエサルの後継者となる事を辞退するように説得したと言う。彼女は紀元前43年、息子が一回目の執政官に就任している際に死去、オクタウィアヌスは母親の葬儀をとても丁重に執り行ったと言われる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アティア・バルバ・カエソニア」の詳細全文を読む
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