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アティーヤ・アブド・アル=ラマーン : ウィキペディア日本語版 | アティーヤ・アブド・アル=ラマーン アティーヤ・アブド・アル=ラマーン(、英語:Atiyah Abd Al-Rahman、1970年 - 2011年8月22日)は、アル=カーイダの幹部。2011年8月22日にパキスタン北西部ワズィーリスターン地区で空爆により死亡した〔アルカイダのナンバー2を殺害 (AFPBB News、2011年8月28日)〕。 アル=カーイダの思想に共鳴するアラブ諸国のイスラーム主義組織と、アル=カーイダ指導層とのパイプ役を務めた。アル=カーイダの作戦部門責任者を務め、ウサーマ・ビン・ラーディンの死後には、副官から指導者に昇格したアイマン・ザワーヒリーに次ぐ地位に就いたとされる。英語圏ではAtiyah Abdul-Rahmanなどと表記され、日本のメディアではアティヤ・アブドゥルラフマンなどと表記される。 ==活動== 1990年代初頭、ムジャーヒディーンとしてアフガニスタンでのジハードに参加した際、ウサーマ・ビン=ラーディンと出会い、アル=カーイダのメンバーとなった。後に、同氏から「イランにおけるアル=カーイダの代理人」に任命され、同国のみならずイラクやマグリブ諸国で活動するイスラーム主義組織とアル=カーイダとのパイプ役を務めるようになる〔Al-Qaeda's New Leadership: Atiyah Abd al-Rahman (ワシントンポスト紙、2006年)〕。 アメリカ軍の発表によれば、イラク戦争当時にイラクの聖戦アル=カーイダ組織の指導者として活動していたアブー=ムスアブ・アッ=ザルカーウィーが空爆で死亡した際、同氏の隠れ家から「2005年11月11日」の日付と「アティーヤ」の署名が入った、シーア派民兵組織マフディー軍に対する攻撃を止めるよう迫る手紙が発見されたとされる〔。
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