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アトランティック・グランプリ・レスリング(''Atlantic Grand Prix Wresting''、略称:AGPW)は、カナダのマリタイム地区で活動するプロレス団体。オーナーはエミル・デュプリ。 == 歴史 == マリタイム地区は1969年より、イースタン・スポーツ・アソシエーション(''Eastern Sports Association''、略称:ESA)として活動。カナダ大西洋岸におけるNWA傘下のプロモーションとして、アル・ジンクおよびルディ・ケイ&ボビー・ケイによって主宰されていた。フラッグシップ・タイトルである北米ヘビー級王座には、ルディ&ボビー・ケイの長兄であるザ・ビースト(ユーヴォン・コーミエ)を初代王者に、ザ・ストンパー、ボボ・ブラジル、パット・オコーナー、レオ・バーク、ジノ・ブリット、キラー・カール・クラップ、ジム・ディロン、ハーリー・レイス、ボロ・モンゴル、ブルドッグ・ボブ・ブラウン、ミシェル・デュボア、フレンチ・マーチンなどが歴代王者として名を連ねており、日本人選手では大熊元司がグレート・クマのリングネームで1974年に戴冠している。 1977年には同地区版のカナディアン・ヘビー級王座がナンバー2タイトルとして新設され、セーラー・ホワイトやデビッド・シュルツなど当時の若手選手の間で争われたが、同年下期にエミル・デュプリがESAの興行権を買収し、後継プロモーションであるAGPWを旗揚げする。翌1978年、新たなフラッグシップ・タイトルとしてAGPW認定のインターナショナル・ヘビー級王座が設けられ、初期はラニー・ポッフォやランディ・サベージ、1980年代にはロン・スターやリップ・ロジャース、ダイナマイト・キッドなども戴冠した。1984年7月には、かつてマリタイム地区に遠征したことがある剛竜馬のブッキングでAGPWからレオ・バークやフレンチ・マーチンが来日し、後楽園ホールで行われた『UWF無限大記念日』に出場したが、剛のUWF離脱により本格的な提携には到らなかった。 1991年に第1期AGPWは消滅。 しかし、2013年にエミルとその息子レネ・デュプリが中心となり復活〔。 第2期AGPWは当初全日本プロレス、後にWRESTLE-1と交流を持ち、日本から主に若手選手を派遣している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アトランティック・グランプリ・レスリング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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