|
アトルボロ()は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州の南東部、ブリストル郡の北西部に位置する都市である。市内に多くの宝石加工者がいたので、「世界の宝石首都」と呼ばれたことがあった。2010年の国勢調査では人口43,593 人だった。 アトルボロはトーントン市の西10マイル (16 km)、ロードアイランド州プロビデンス市からは北東に10マイル (16 km)、フォールリバー市から北西に18マイル (29 km)、ボストン市からは南に39マイル (63 km) にある。 == 歴史 == 1634年、イングランド人開拓者が、現在アトルボロとなっている所に最初に入って来た。この開拓者達は痩せた土壌、水運の便宜のないことに遭遇し、貧しい生活に耐えることになった。彼らは人間の生存には適していないと宣言し、二度と戻って来ないと決断した。それでも1694年にはアトルボロの町としてレホボスから分離、法人化された〔"Sketch of the History of Attleborough" Page 20, 1834 〕。その町域は今より広かったが、1747年にロードアイランド州カンバーランド町が分離し、1887年にはノースアトルボロ町が分離した。町は1914年に市として再度法人化され、綴りも最後の3文字 "-ugh" が無くなった(ノースアトルボロはその綴りを残している)。マサチューセッツ州の多くの町と同様に、イングランドのノーフォークにある町から市名が採られた。 植民地時代にインディアンとの抗争が続いた間、アトルボロ住人の息子ナサニエル・ウッドコックが殺され、その頭が父の家の前庭にあった柱の上に置かれていた。その父の家は現在歴史史跡に指定されている。ジョージ・ワシントンがアトルボロを通り、ウッドコック・ガリソンの家近くハッチ酒場で滞在し、独立戦争の軍人でガリソン家屋の新所有者だったイスラエル・ハッチと靴のバックルを交換したという伝承がある。 アトルボロには、宝石加工業のL・G・バルフォア社があり、1913年には宝石の加工で知られる町になっていた。バルフォア社はその後市から出て行き、その工場跡はリバーフロント公園に転換された。アトルボロは「世界の宝石首都」と呼ばれたこともあり、宝石加工会社が操業を続けている。その1つがギーヨ兄弟会社であり、1904年に創業した。現在も操業を続けている会社には、ジェネラル・ファインディングズ、M・S・カンパニー、ジェイムズ・A・マーフィ Co.、ガーラン・チェイン、リーチ & ガーナー、マスターズ・オブ・デザインなどがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アトルボロ (マサチューセッツ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|