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アドナン・メンデレス
アドナン・メンデレス(Ali Adnan Ertekin Menderes, 1899年‐1961年9月17日)は、トルコの政治家。1950年に初の自由選挙により選出された首相となったが、1960年に軍部のクーデターで逮捕され、翌年処刑された。 == 経歴 ==
=== 野党政治家 === アイドゥン県ギュゼルヒサルに地主の子として生まれる。イズミルのアメリカン・スクールを卒業。祖国独立戦争の際は独立勲章を受章している。1930年、ごく短期間存在した自由共和党のアイドゥン支部を設立して政治の道に進む。この党が非合法化されたのちは共和人民党に入党し、1931年にアイドゥン市議会議員に当選。1936年に国会議員に初当選。議員を兼ねたままアンカラ大学で法学を学ぶ。 1945年、共和人民党を除名される。翌1946年にジェラル・バヤルらと民主党を設立、党内でバヤルに次ぐ地位を得た。これは自由共和党、1945年に設立された国家進歩党に次いで、トルコ共和国史上三番目の合法的な野党だった。共和人民党による一党独裁が改められた最初の選挙は1947年に行われるはずだったが、イスメット・イノニュ大統領は民主党に準備期間を与えないため選挙を1年前倒しし、民主党は465議席中64議席しか得られなかった。真のトルコ史上初の自由選挙となった1950年5月の総選挙では民主党が圧勝し政権を獲得、バヤルは第3代大統領に、メンデレスは第19代・9人目の首相に就任した。軍の一部はイノニュ大統領に民主党を解散させ大統領職を続けるべきだと進言したが、イノニュは断って野党党首になった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アドナン・メンデレス」の詳細全文を読む
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