翻訳と辞書
Words near each other
・ アナスタシア・チェボタリョーワ
・ アナスタシア・トクタロヴァ
・ アナスタシア・ド・トービー
・ アナスタシア・ニコラエヴナ
・ アナスタシア・ニコラエヴナ (1868-1935)
・ アナスタシア・パフリュチェンコワ
・ アナスタシア・パブリュチェンコワ
・ アナスタシア・フリブコ
・ アナスタシア・プラトノワ
・ アナスタシア・マルフォートラ
アナスタシア・ミスキナ
・ アナスタシア・ミハイロヴナ
・ アナスタシア・ロディオノワ
・ アナスタシア・ロマノバ
・ アナスタシア・ロマノワ
・ アナスタシア・ロマノヴナ
・ アナスタシア倶楽部
・ アナスタシア大公妃
・ アナスタシア皇女
・ アナスタシウス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アナスタシア・ミスキナ : ウィキペディア日本語版
アナスタシア・ミスキナ

アナスタシア・ミスキナ(''Anastasia Myskina'', , 1981年7月8日 - )は、ロシアモスクワ市出身の女子プロテニス選手。2004年全仏オープン女子シングルス優勝者で、ロシア人の女子テニス選手として初の4大大会優勝を達成した。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス15位。WTAツアーでシングルス10勝、ダブルス5勝を挙げた。身長174cm、体重59kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
== 来歴 ==
ミスキナはモスクワ市の名門クラブ「スパルタクラブ」で、アンナ・クルニコワエレーナ・デメンチェワと幼なじみだった(3人とも同じ年である)。このクラブは、旧ソビエト連邦時代の名選手オルガ・モロゾワがテニスコーチの夫とともに設立したものである。
2002年に女子テニス世界ランキングを59位から11位に上げ、世界トッププレーヤーの仲間入りをする。20歳を過ぎてからの急成長は、女子プロテニス界では比較的遅い。2003年全豪オープン全米オープンでベスト8に入り、22歳で世界トップ10入りを果たす。全豪オープンの準々決勝では、2003年2004年と2年連続でキム・クライシュテルスに敗退した。
2004年全仏オープンで、アナスタシア・ミスキナはロシア人の女子テニス選手として初の4大大会優勝を達成する。幼なじみのエレーナ・デメンチェワとの「ロシア対決」の決勝は女子テニス史上初の快挙であった。(ロシア人のテニス選手で初の4大大会シングルス優勝者は、1996年全仏オープン男子シングルスを制したエフゲニー・カフェルニコフである。ミスキナは最初の女子シングルス優勝者になった。)
この後、ミスキナはロシア代表選手としてアテネ五輪にも出場したが、女子シングルス準決勝でベルギー代表選手のジュスティーヌ・エナン=アーデンに敗れて「銅メダル決定戦」に回った。2人の準決勝敗退選手によって争われる銅メダル決定戦で、ミスキナはオーストラリア代表選手のアリシア・モリクに 3-6, 4-6 のストレートで敗れ、銅メダルも逃して4位に終わった。
ミスキナの全仏優勝に続いて、ウィンブルドン選手権ではマリア・シャラポワ全米オープンではスベトラーナ・クズネツォワが優勝し、2004年度の4大大会では「3大会連続」でロシア人の女子シングルス優勝者が誕生した。
2005年全豪オープンでダブルスの自己最高成績を出し、同じロシアのベラ・ズボナレワと組んで女子ダブルス4強入りを果たした。ミスキナとズボナレワは、準決勝でスベトラーナ・クズネツォワアリシア・モリクの組に 2-6, 3-6 で敗れた。ところが、全仏オープンでは1回戦でマリア・サンチェス・ロレンツォスペイン)に 4-6, 6-4, 0-6 で敗れ、全仏オープンの大会史上初めて、女子シングルスの前年度優勝者が1回戦で敗退する屈辱をなめた。この後、ミスキナはウィンブルドン2005年2006年で2年連続のベスト8に入ったが、準々決勝では2年連続でアメリ・モレスモに敗れた。
2007年初頭から、ミスキナは左足の故障に悩まされるようになる。2007年全仏オープンの1回戦でメガン・ショーネシーアメリカ)に 1-6, 0-6 で惨敗した試合が、最後のツアー出場になった。2008年4月、彼女はシングルマザーとして長男を出産した。2010年8月には次男を2012年3月には三男を出産。現在はロシアでテレビの仕事を中心に活動している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アナスタシア・ミスキナ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.