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アナ・ボル論争 : ウィキペディア日本語版
アナ・ボル論争[あな ぼるろんそう]
アナ・ボル論争(アナ・ボルろんそう)とは、大正年間、とりわけ1920年代初めの日本社会主義運動や社会運動において、アナルコサンディカリスム派 (アナ派、無政府組合主義)とボルシェビズム派 (ボル派、マルクス主義共産主義)の間で起こった思想的・運動論的論争と対立である〔アナ・ボル論争 ブリタニカ国際大百科事典〕〔小松隆二「日本労働組合総連合運動をめぐって(1) : アナ・ボル論争の意味するもの」 『三田学会雑誌』65巻4号、1972年4月、慶應義塾経済学会〕。
労働組合運動の組織論について、アナ派は自由連合論をとり政党の指導を排除すべきと主張したのに対し、ボル派は中央集権的組織論をとった〔アナボル‐ろんそう〔‐ロンサウ〕【アナボル論争】 デジタル大辞泉〕。1917年ロシア十月革命1922年12月30日ソビエト連邦樹立に対する評価にも相違があった〔アナ・ボル論争 【アナボルろんそう】 百科事典マイペディア〕。
近藤栄蔵らが「アナ・ボル提携」を掲げ、1921年1月に大杉栄とともに『労働運動』(第2次)を創刊して蜜月に入る。6月『労働運動』(第2次)は13号で廃刊、12月にはアナキストだけで『労働運動』(第3次)を復刊させる。1922年の大杉による『労働運動』(第3次)でのロシアのボリシェヴィキによるアナキストの弾圧の報告もあってアナボル論争も激化し、同年9月30日日本労働組合総連合結成大会に至る過程で両者の対立が頂点に達したが、のちにアナ派は衰退し、マルクス主義が主流となる〔アナボルろんそう【アナボル論争】 大辞林第三版〕。
1922年3月創立の全国水平社内部でも両派の論争と対立が現れた。
== 脚注 ==



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アナ・ボル論争」の詳細全文を読む



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