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アニー・コネツニ : ウィキペディア日本語版
アニー・コネツニ
アニー・コネツニ(Anny Konetzni〔姓について"Konetzny"と表記する資料もある。〕, 1902年2月12日 - 1968年9月6日)は、オーストリア出身のソプラノ歌手。〔〕。妹ヒルデもソプラノ歌手である。
ウンガリッシュ・ヴァイスキルヘン(現セルビア領ベラ・ツルクバ)の生まれ。新ウィーン音楽院でエリク・シュメーデスに声楽を師事し、ベルリンでジャック・シュテュックゴルトの薫陶も受けた。1923年からウィーン・フォルクスオーパーの合唱団人として就職し、1925年にフォルクスオーパーでリヒャルト・ワーグナーの《リエンツィ》の上演でアドリアーノ役でオペラ・デビューを飾った。1931年から1936年までベルリン国立歌劇場で活躍し、1933年からはウィーン国立歌劇場の舞台にも立ち、同年から翌年までメトロポリタン歌劇場でも歌って名声を確立した。1935年から1939年までコヴェントガーデン王立歌劇場でも歌った。戦後はザルツブルクやミラノ・スカラ座にも出演し、ウィーン音楽院でも教鞭を執ったが、1957年に病を得て引退した。
ウィーンにて没。
== 出典 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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