|
アビアンカ航空52便墜落事故(アビアンカこうくう52びんついらくじこ)とは、米国東部標準時 (EST) 1990年1月25日午後9時34分ごろ、アビアンカ航空のボーイング707型機(旅客機)が燃料切れを起こし墜落した航空事故のことである。 == 概要 == この日、アビアンカ航空52便は、乗員9人と乗客149人を乗せ、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港 (JFK) に向けて、メデジンのホセ・マリア・コルドバ国際空港を離陸した。なお、ホセ・マリア・コルドバ空港は52便の途中経由地であり、最初の出発地はボゴタのエルドラド国際空港であった。 52便の機体の自動操縦装置は故障していたため、機長はニューヨークまでの約6時間を手動で操縦した。そのため機長をはじめ運航乗務員の疲労度が通常に比べ高かった。しかも、米国領域に進入後、悪天候による空港混雑のためノーフォーク(バージニア州)付近で19分、アトランティックシティー(ニュージャージー州)上空で29分、そして目的地である JFK 上空でも30分近くにわたる上空待機を指示された。当日、ジョン・F・ケネディ国際空港周辺の天候は暴風雨で52便の他にもかなりの数の待機機があった。 JFK 上空において、52便は管制塔 (ATC) から既に2度の EFC(Expected Further Clearance time、追加管制承認予定時刻)の通知を受けて(1回目は午後8時30分、2回目は8時39分)ずっと待機状態を続けていたが、3度目の EFC は午後9時10分と告げられた。これに対して52便の副操縦士は、「燃料が残り少ないため着陸を優先して欲しい」と返答した。 管制塔は直ちに対応したが、この時点で「緊急事態」の意識は無く、単に着陸の順番を繰り上げただけだった。 52便は通常手順でアプローチを行ったが、滑走路端から数キロメートル、高度およそ500フィートでウィンドシア(乱気流)に遭遇し、降下率が増大しグライドスロープから逸脱、高度は100フィート程度まで下がり対地接近警報装置が動作した。燃料が残り少ないことは承知していながらも、機長は着陸復行することにした。 再度着陸進入のため旋回中、燃料がなくなり第3、第4エンジンが停止した。そのあとに第1、第2エンジンが停止した。エンジンがすべて停止し高度を維持できなくなり、52便はジョン・F・ケネディ国際空港から約24キロメートルのロングアイランドのコーブネックに森林をなぎ倒しながら墜落した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アビアンカ航空52便墜落事故」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|