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アフォンソ2世(、1185年4月23日 - 1223年3月25日)は第3代ポルトガル王(在位:1211年 - 1223年)。サンシュ1世と王妃ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナの子。「肥満王」(Gordo)と仇名される〔Alphonso(1911 Encyclopædia Britannica)〕。歴代ポルトガル王の中で初めて国内の高位聖職者・貴族の弱体化を図った人物である〔合田昌史「ポルトガルの誕生」『スペイン・ポルトガル史』収録(立石博高編, 新版世界各国史, 山川出版社, 2000年6月)、365頁〕。 == 生涯 == 1211年に父サンショの跡を継いでポルトガル王位に就いた。 レオン王国との戦争のため、1212年のナバス・デ・トロサの戦いにアフォンソ2世自身は参戦しなかったが、臣下の多くがカスティーリャ王国のアルフォンソ8世の元に集まった〔ローマックス『レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動』、171頁〕。 1217年9月にホラント伯が指揮する第5回十字軍の分派の助けを得て、アルカセル・ド・サルを獲得した〔ローマックス『レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動』、181頁〕。 国内の聖職者との対立のためにアフォンソはローマ教皇ホノリウス3世から破門を宣告され、教会への補償を約束した〔。しかし、1223年に約束を果たす前に没し〔、存命中に破門は解除されなかった〔マルケス『ポルトガル』1、49頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アフォンソ2世 (ポルトガル王)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Afonso II of Portugal 」があります。 スポンサード リンク
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